中島敦の小説「山月記」の中で、李徴が詠んだ詩を袁傪は
「何処か欠けるところがある」
と評しましたが、袁傪が感じたと言う「欠けている」ものとは何なのか。天才李徴の行動を辿りながら見ていきました。
そこには天才過ぎたがゆえに人生を狂わせてしまった李徴の、悲しい運命と人生が描かれていました。
以下は李徴の発狂後のことに関しての想像です。
ポイント
・発狂と人食虎
・あぶないところだった
・心優しい友袁傪
・遺稿の詩の朗読と欠けるところ
・欠けていたものが埋まった瞬間
・友との別れと最後のお願い
発狂と人食虎
心の内なる声に導かれて林の奥深くに入ってしまった李徴でしたが、その後袁傪と出会うまでのおよそ1年間は誰にも会うことなく、いったいどうしていたのでしょうか。
林の奥深くに入り岩窟の中に暮らした李徴でしたが、やがて気づくと激しい空腹感に襲われました。しかしもはや食料は手元にはありません。
小さな動物や植物を見つけて食べるしかありません。ある時などは偶然目の前を通ったウサギを捕まえて食べたこともありました。
着るものはといえば、夜その林の中を通る旅人を闇に紛れて襲っては、食料と一緒に奪い取ったものに頼るしかありませんでした。
髪はボサボサ、ヒゲはぼうぼう、その風貌はまるで虎のようで、いつしか李徴は人々から「人食虎」と呼ばれるようになっていました。
もはやかっての美少年李徴の姿は見る影もなく、自尊心の強かった李徴にとって、このままで人前に姿を表すことなどとてもできないことでした。
あぶないところだった
そんなある日、李徴のいちばんの友人だった袁傪たち一行が夜明け前の林の中を通ったのでした。
そうとは知らず李徴は袁傪たち一行を闇の中で襲って、食べ物と着るものを奪おうとしたのでした。
ところがところが、奪おうとした相手の顔を見ると、何とそこには友人袁傪の顔があったのでした。
かっての天才で美少年だった李徴がこんなところで野獣のような生活をしていることなど袁傪に知られたら大変です。李徴は大慌てで草むらの中に逃げ込みました。
どうやら袁傪には気づかれることはなかったようでした。
《あぶないところだった!》
ホッとした李徴でしたが、うかつにも「あぶないところだった」という声を出してしまい、その声が袁傪に聞こえてしまったのでした。
すると突然袁傪が
《その声は、我が友、
李徴子ではないか?》
と声をかけたのでした。
万事休す!
李徴の体は震え、口は乾き、気が遠くなりそうな恐怖の中、李徴は必至に策を練ります。
みじめに落ちぶれてしまった今の姿は何があってもかつての友には見せられない、強い李徴を演じる必要があったのです。
そして、決めたのでした。
俺は「人食虎」だ!
意を決した李徴は袁傪に言葉を返しました。
《如何にも自分は
隴西の李徴である》
心優しい友袁傪
「何故叢から出てこないのか?」という袁傪の当然の質問に、用意した答えは次のことでした。
《自分は今や異類の身となっている。
どうして、おめおめと故人(とも)の前に
あさましい姿をさらせようか。
かつ又、自分が姿を現せば、
必ず君に畏怖嫌厭の情を起こさせるに
決っているからだ。》
自分は虎であり君を怖がらせてしまうからという、李徴の精一杯の虚勢を張った答えを用意したのでした。
人間が虎になるなどという奇想天外な話だったのですが、李徴の友人でありかつ心優しい袁傪はその話を素直に受け入れてくれたのでした。
《後で考えれば不思議だったが、
その時、袁傪は、この超自然の怪異を、
実に素直に受容れて、
少しも怪しもうとしなかった。》
袁傪はかつての友李徴に対して、姿は見えなくても懐かしく話しかけました。そして李徴の語る言葉にじっと耳を傾けてくれたのでした。
李徴の林の中でのこれまでの動物のような野蛮な行動や、徐々に人間としての心が失われて行く恐怖、自分が何者だったのかさえ分からなくなる恐ろしさなど、李徴の悲しみや苦しみ恐怖を、袁傪はじっと聞いてくれました。
遺稿の詩の朗読と欠けるところ
こうした袁傪の好意に応え、李徴は自分が作った詩の書き取りを袁傪にお願いしました。
《曾て作るところの詩数百篇、固より、
まだ世に行われておらぬ。
遺稿の所在も最早判らなくなっていよう。
ところで、その中、今も尚記誦せるものが数十ある。
これを我が為に伝録して戴きたいのだ。》
こうして頭の中にまだ残っていた詩を読み上げる李徴の声は朗々と響き、その詩も格調高く優れていて、作者の才能を袁傪に感じさせるものばかりでした。
しかし袁傪は感嘆しながらも、
《第一流の作品となるのには、
何処か(非常に微妙な点に於て)
欠けるところがあるのではないか》
と感じたのでした。
この素晴らしい詩に、何が欠けていたのでしょう。
欠けていたものが埋まった瞬間
しかし袁傪の感じた「欠けているところ」はすぐに明らかになるのでした。
昔李徴が作った格調高い詩の朗読が終わると、話はみじめな現在の李徴のことに移りました。
《羞しいことだが、今でも、
こんなあさましい身と成り果てた今でも、
己は、己の詩集が長安風流人士の
机の上に置かれている様を、
夢に見ることがあるのだ。
岩窟の中に横たわって見る夢にだよ。
嗤ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった
哀れな男を。》
そして今のこの想いを即席の詩にして袁傪たち一行に聞かせたのでした。その詩には天才李徴の弱さや悲しみが込められていました。
李徴がこの詩を朗読している間、袁傪たち一行は静かに聞いていました。
《人々は最早、事の奇異を忘れ、
粛然として、この詩人の薄倖を嘆じた。》
李徴の詩を聞いていた人々の目には涙が光っていたことでしょう。もう本物の虎が目の前にいるとは誰も感じてはいませんでした。
李徴の詩は最後の最後で人々に感動と共感を与えたのでした。
臆病な自尊心の壁を突き抜けて、李徴の生身の心が人々の前に現れた瞬間でした。
友との別れと最後のお願い
もうそろそろ夜明けです。
懐かしい友との楽しかった時間も終わりの時です。
李徴は残された家族のことを袁傪に頼んだ後、帰路には袁傪がここを通らないよう頼みました。
袁傪たち一行が再びこの道を通った時には、李徴の現在のみじめな姿を再び隠し通すことはもうできないことを知っていたからでした。
そして袁傪たち一行は李徴のお願い通りに、遠く丘の上まで行った後に振り返ってくれたのでした。
精一杯の虎の声での挨拶は、李徴最後の尊大な羞恥心によるものでした。
注.これはあくまで個人的な解釈です。