李徴が虎になった理由は何か 山月記

中島敦の小説「山月記」の中で、李徴は虎になってしまいました。

李徴はどうして虎になんかなってしまったのでしょう。

ここでは

  李徴が虎になった理由
=>
  李徴が林の奥深く入り、
   虎のような生活に身を落とした理由

と捉えて理由を考えてみました。

天才過ぎたがゆえに人生を狂わせてしまったのでしょうか。李徴の悲しい運命と人生を感じました。

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李徴という人物を知る

李徴がどんな人物だったのか、主な特徴をあげてみると、

 《李徴は博学才穎》

とても、たぶん天才的に頭がよかったんですね。

 《青年李徴の自嘲癖》

若いころから李徴は自分を蔑むクセがあったようです。

 《己は努めて人との交わりを避けた》

また、誰かと一緒にいるよりも一人でいることの方が多かったようです。

そして、人との交わりを避けていた理由は

 《殆ど羞恥心に近いものである》

とのことでした。

いったい何が恥ずかしかったのでしょうか。李徴の言葉によると、

 《才能の不足を暴露するかも
  しれないとの卑怯な危惧》

があったようでした。

「自分の才能が不足している」ということを誰かに知られてしまうことは、李徴にとってこの上ない恐怖だったようです。

つまり、李徴自身の才能についての自尊心は、この恐怖と共にある

 《臆病な自尊心》

でした。

また、この「羞恥心」の恐怖から逃れるために、李徴は努めて人との交わりを避けたのでした。

でもそのことで、人々から「李徴は尊大だ」と言われてしまったのでした。

李徴は「偉そうに、あいつ!」という眼を周囲に感じていたことでしょう。

次のようにも語っています。

 《己の場合、
  この尊大な羞恥心が猛獣だった》

この尊大な羞恥心のために、

 《進んで師に就いたり、
  求めて詩友と交わって切磋琢磨に
   努めたりすることをしなかった》

そしていつしか、

 《己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、》

恐怖心から必死に逃げたのですが、その結果、追いかけてくる恐怖はますます大きくなったようです。

 《益々己の内なる臆病な自尊心を
  飼いふとらせる結果になった》

そんな李徴を待っていたものは、「どうしようもない孤独」でした。

 《人間だった頃、
  己の傷つき易い内心を
  誰も理解してくれなかった》

李徴はこの苦しみを次のようにも表現しました。

 《天に踊り地に伏して嘆いても、
  誰一人己の気持ちを
  分かってくれる者はない》

そしてついにある日、李徴は林の奥深くに入ることで、完全に

 「世と離れ、人と遠ざかり、」

虎としての生活をすることになったのでした。

天才の悲劇・敗れる経験の少なさ

往年の俊才と言われた李徴は、非常に頭がよくて優秀で、誰かと議論をしても敗れる経験が少なかったのでしょう。

でもその結果、誰かと対等に議論をしようとしてもうまくは行かなかったと思われます。

以下、李徴の心の想像です。

きっと誰も李徴と議論をして勝てるとは思わなかったのでしょう。

そしてそのことは李徴にとってかえって辛い結果となってしまったようでした。

 《己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。
  誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。
  しかし、獣どもは己の声を聞いて、
  唯、懼れ、ひれ伏すばかり。

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  山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、
  哮っているとしか考えない。》

誰もが李徴の言葉にひれ伏すのみでした。

すると続いて、李徴に新たな恐怖が訪れます。

 「皆がひれ伏して聞いた李徴の言葉が、
  実はとんでもない嘘だった!」

となってしまう恐怖です。このことで人との交わりに徐々に恐怖を感じ始めたのかもしれません。

これは小説「人間失格」の主人公葉ちゃんこと、大庭葉造の「道化」にも通じるものがあります。

葉ちゃんの道化も天才的に上手だったので、ほとんど失敗がありませんでした。

でも地獄のような恐怖が人生で二度、鉄棒の失敗を武一に見破られた時と、検事にハンケチの血のことを疑われた時でした。

どうしようもない孤独

誰にも自分のことを理解してもらえないという孤独はいったいどんな孤独だったのでしょう。

2020年1月に放送されたテレビドラマ

  「心の傷を癒すということ」

の中で、永野教授という精神医学のえらい先生の講義を聞いた安くんが、先生に質問をしました。

安: 先生が書かれた本を読みましたが
   並外れた知性ゆえに
   普通の人とは違うものを
   見ておられるようです。

   例えば…
    誰もが 朝日に目を奪われている時
   先生は その光が決して届かない
    海底の魚をご覧になっている。

   先生が 魚について
    誰かと議論したいと思っても
   その魚が見えている者は ほかにいません。

   自分を 自分の考えを
    誰も分かってくれないというのは
   どのような孤独でしょうか

俊才と言われた李徴ですが、やはりこの永野教授のような孤独を感じていたのでしょうか。

李徴は同時に「海底の魚」であったようにも思えます。

ちなみに、この「孤独」は現代でも大きな問題になっているようです。

2018年1月にイギリスで「孤独担当大臣」が新設されました。

  孤独の国家損失は年間4.9兆円
  https://www.huffingtonpost.jp/entry/may-loneliness_jp_5c5b75f2e4b0faa1cb67c9aa

引きこもりへの逃避

孤独だった李徴も、臆病な自尊心から人との交わりを避けざるを得ず、

 《故山、かく略に帰臥し、人と交を絶って、
  ひたすら詩作に耽った。》

とうとう引きこもりが始まり、社会との交わりは詩のみとなってしまいました。

その後一度は生活のため役人としての仕事に就くことで何とか社会復帰を成し遂げたのですが、
臆病な自尊心による人と交わる恐怖はますます強まってしまい、
とうとう耐え切れなくなったある日、林の奥深くに隠れて洞窟に住むことになったのでした。

今度は本格的に引きこもってしまうことになったのでした。

おまけ

以下はあくまでこのブログの作者の想像によるものです。

日本では引きこもりの数は50万人を超えると言われ、親80歳子50歳で生じる問題のことを

  80 50問題

と呼ばれていますが、やがては100万人に増えるとも言われています。

李徴の場合も、孤独の問題を抱え、臆病な自尊心という対人恐怖症的な傾向も抱えて、
現代での「引きこもり」の状態に陥ったのではないかと思います。

また、李徴が「発狂した」とされた時、李徴は

 「戸外で誰かが我が名を呼んでいる」

と言っていました。これは李徴が統合失調症を発病したことによる幻覚幻聴の可能性があります。

統合失調症の発病危険率は0.7~0.8%で、この傾向は世界的にほぼ共通(放送大学「今日のメンタルヘルス」)とのことなので、李徴が生きた当時も同じと思われます。

つまり李徴は孤独なだけでなく、統合失調症という病気も抱えて苦しんでいたという可能性があったのでしょう。

参考 李徴は本当に虎になったのか

参考 李徴に欠けているところとは何か

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