K君はなぜ死を選んでしまった
2009.06.23 Tuesday 10:22
夏目漱石の「こころ」を初めて読んだのは、比較的最近のことです。
多くの人と同様、私もとても感銘を受けました。そしてK君が生まれたのがお寺ではなかったら、こんな悲劇はなかったに違いないと思ってしまいます。
興味のままに、K君の死に関係する部分だけを抜き出して読んでみたり、お嬢さんと奥さんが何を考えていたのか、に関する部分だけを追いかけて読んで見たりをしてみて、自分なりに感じるものがありましたが、ここでは、感じた結果を書いてみたいと思います。
K君が死んだ理由についてはいろんな考えがあると思います。K君が死に至るまでの経過を、私が感じたことを書いて見ます。
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先生によれば、幼なじみのK君は坊さんの家に生まれ、普通の坊さんよりは遥かに坊さんらしい性格だったということです。とても頑固な男だったということです。そして医者の家に養子に入り、東京の学校に入ります。
《元来Kの養家では彼を医者にする積りで東京へ出したのです。
然るに頑固な彼は医者にはならない決心をもって、東京へ出て
来たのです。私は彼に向って、それでは養父母を欺むくと同じ
事ではないかと詰りました。大胆な彼はそうだと答えるのです。
道のためなら、その位の事をしても構わないと云うのです。》
K君にとって「道」はとても大事なものだったようです。先生によれば、K君にも「道」の意味はよく分かっていなかったが、年の若いK君たちにはとても尊く響いたとのことです。
「意志の力を養って強い人になるのが自分の考だ」というK君に、先生が「Kと一所に住んで、一所に向上の路を辿って行きたい」と言って、先生の下宿にK君を住まわせてしまいました。
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また、先生がK君の気性を言い表している言葉に、次のようなものがあります。K君の将来を暗示させる内容だと思います。
《彼の性質として、議論が其所まで行くと容易に後へは返りません。
猶先へ出ます。そうして、口で先へ出た通りを、行為で実現しに
掛ります。彼はこうなると恐るべき男でした。偉大でした。自分
で自分を破壊しつつ進みます。結果から見れば、彼はただ自己の
成功を打ち砕く意味に於て、偉大なのに過ぎないのですけれども、
それでも決して平凡ではありませんでした。》
一度口にしてしまうと絶対に曲げないという性格はよく分かります。どちらかと言うと私も似たようなところがあります。
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先生が孤独なK君を癒してあげようと、お嬢さんにもお願いをしてK君と親しくしてもらったのに、いざお嬢さんとK君とが親しげに話し始めると、こんどは先生の心が穏やかではなくなります。そして、近づけようとしたK君とお嬢さんとを、こんどは引き離そうとします。
成り行きで先生とK君とが一緒に房州へ旅行に行ったあるとき、先生が突然K君をつかみます。
《ある時私は突然彼の襟頸を後からぐいと攫みました。こうして海
の中へ突き落したらどうすると云ってKに聞きました。Kは動き
ませんでした。後向のまま、丁度好い、遣ってくれと答えました。
私はすぐ首筋を抑えた手を放しました。》
先生がK君に嫉妬し始めたころ、K君はすでに死ぬことを考えていたんですね。
親から勘当されても自分でアルバイトの口をみつけて必死に勉強に取り組んでいたK君です、でもこのとき既に死を考えるほど悩んでいたんですね。
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先生とK君とは日蓮の生まれた村のお寺に行きました。K君は一生懸命に日蓮のことをお坊さんに聞き、先生にも話しかけたのですが、先生が取り合わないので、「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」と言って先生を軽蔑した様子を見せます。K君の頭の中は学問と道と向上心でいっぱいだったのでしょう。
口惜しがった先生は「人間らしい」という言葉を使ったのですが、K君は「人間らしいという言葉のうちに、自分(先生)の弱点のすべてを隠している」と責めます。先生も必死の反撃で、「君は人間らしい、けれども口の先だけでは人間らしくないことを言う」と言い返します。この反撃がK君の心にグサッと突き刺さったようです。K君は「自分の修養が足りないから。」と答えました。K君は自分の修養が足りないことで、死さえ考えるほどの弱点を持っていた(隠していた)ということですね。
K君は自分で自分をとことんまで追い詰めてしまっていたのでしょうが、たった一人の話し相手の先生に言われてしまって、つらかったと思います。
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先生がK君とお嬢さんとのことで嫉妬の気持ちが強くなったとき、K君が先生にお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けます。先生は「しまった、先を越された」という気持ちでいっぱいで、冷静に考える余裕を失います。K君は思いつめた様子で話しました。
数日後にK君は再度先生に相談をします。内容は「恋愛の淵に陥ったK君を、どんな眼で先生が眺めるかという質問」です。そして先生の批判を求めていました。そのときのK君の言葉として
「自分の弱い人間であるのが実際耻(は)ずかしい」
「迷っているから自分で自分が分らなくなってしまった」
「進んでいいか、退ぞいていいか、それに迷う」
「(退ぞけるのかの質問に)苦しい」
がありました。お嬢さんとの恋のことで苦しんでいる様子です。退けないから苦しいのでしょう。退けないことが自分の弱さであり、恥ずかしいことだと感じていたのだと思います。
そして先生の言葉
《精神的に向上心のないものは馬鹿だ》
二度も繰り返されてしまい、K君は『僕は馬鹿だ』と言ったまま動けなくなってしまいます。
真宗寺に生まれたK君について、先生は次のように説明しています。
《Kは昔しから精進という言葉が好でした。私はその言葉の中に、
禁慾という意味も籠っているのだろうと解釈していました。然
し後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含ま
れているので、私は驚ろきました。道のためには凡てを犠牲に
すべきものだと云うのが彼の第一信条なのですから、摂慾や禁
慾は無論、たとい慾を離れた恋そのものでも道の妨害(さまた
げ)になるのです。》
先生はこのことを知っていたのです。
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K君が「もうその話はやめよう」、「やめてくれ」と頼んでいるのに、
《止めてくれって、僕が云い出した事じゃない、もともと君の方
から持ち出した話じゃないか。然し君が止めたければ、止めて
も可いが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心で
それを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張
をどうする積りなのか。》
これがとどめでしょう。K君小さくなって
《『覚悟、――覚悟ならない事もない』と付け加えました。彼の
調子は独言(ひとりごと)のようでした。又夢の中の言葉のよ
うでした。》
ここで自殺の決意ははっきりと固まったと思います。
K君がもっと喧嘩慣れでもしていれば、「じゃあ、お前はどうなんだ!」という反撃もできたのでしょうが、先生の言葉で、「K君は人一倍の正直者」とのことなので、反撃の発想さえ浮かばなかったのだと思います。
ところで、僧侶は以前から「色欲は仏道の深く戒めるところ、犯してはならない第一の悪徳」とされていたと思います。K君が生まれたのがお寺でなかったらここまでの価値観は持たなかったのではないかと思います。
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先生は頭がいい人です、実はK君の「覚悟」の意味を気づきかけたのです。でもそれは一瞬の話で、あとは「お嬢さんをK君に取られたくない!」という思いでいっぱいで、冷静に考える余裕はありませんでした。
《Kの果断に富んだ性格は私によく知れていました。彼のこの事件
に就いてのみ優柔な訳も私にはちゃんと呑み込めていたのです。
つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしっかり攫(つら)
まえた積りで得意だったのです。ところが『覚悟』という彼の言
葉を、頭のなかで何遍も咀嚼(そしゃく)しているうちに、私の
得意はだんだん色を失なって、仕舞にはぐらぐら揺(うご)き始
めるようになりました。私はこの場合も或は彼にとって例外でな
いのかも知れないと思い出したのです。凡ての疑惑、煩悶、懊悩、
を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに畳み込んでいる
のではなかろうかと疑ぐり始めたのです。そうした新らしい光で
覚悟の二字を眺め返して見た私は、はっと驚ろきました。その時
の私が若しこの驚きを以て、もう一返彼の口にした覚悟の内容を
公平に見廻したらば、まだ可かったかも知れません。悲しい事に
私は片眼(めっかち)でした。私はただKが御嬢さんに対して進
んで行くという意味にその言葉を解釈しました。》
先生は、「常に精進精進といっているKでも、お嬢さんを好きになるという点だけは例外として自分を許してるんだ」、と解釈して、そこを突いたのですが、「覚悟」と言われて、もしかしてK君にとっては「お嬢さんを好きになることは道に外れること」という意味では例外ではなかったのだろうと気がついたのです。そして、K君が道を踏み外していくことをK君自身がどうしてもコントロールできないので、解決のための最後の手段(自殺)を決意したのではないか、と感じて驚いたのでしょう。
でも結局は
《果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのが即ち彼の覚
悟だろうと一図に思い込んでしまった》
のでした。
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K君が先生に相談したかったのは、お嬢さんとの恋を成就させたいという意味ではなく、自分の心に芽生えてしまったお嬢さんへの恋心が自分の信じる道から外れてしまうという不安を相談したかったのだろうと思います。先生以外に相談する相手もなく、わずかな望みを託して先生に打ち明けたのでしょう。
でも先生の答えはK君が不安に思っている内容をズバリと指摘するものでした。
《自分の弱い人間であるのが実際耻(は)ずかしい》
K君の心はこの念でいっぱいになったはずです。そして、自分が弱い人間でい続けることは許せない、自分は強い人間だ、そのためにはお嬢さんへの恋心がますますつのる自分を強い心で止めさせる、つまり自分を殺す決意をしてしまったと思われます。
《彼はこうなると恐るべき男でした。偉大でした。自分で自分を破
壊しつつ進みます。》
K君のこの性格が発揮されるときが来てしまいました。
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先生とお嬢さんとの婚約を奥さんから聞かされたK君はどんな気持ちだったのでしょうか。
《Kはこの最後の打撃を、最も落付いた驚をもって迎えたらしいの
です。》
すでに覚悟を決めていたK君は、おそらく怒りなどの感情はなかったと思います。自分は死ぬべきであるという決心をより強くしただけだったのではないでしょうか。
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K君は先生を恨んだのでしょうか。私は恨みはなかったと思います。むしろたった一人の相談相手として一生懸命尽くしてくれたことに対する感謝があったと思います。
そもそもK君が先生と一緒に住むことになったとき、先生としては自分がK君を無理に連れてきた積りですが、K君としては先生と一緒に住んでいろいろと先生に教える積りだったはずです。K君にとって先生はかわいい生徒だったはずです。
K君が死ぬ理由は「自分が弱い人間だ」ということです。精進しなければいけないといつも先生に教えていたのに、自分がそれに反してしまったのですから。K君の中では先生に裏切られてもいませんし、先生に殺されたわけでもありません。先生に意見を聞いて、先生はK君から教えられたとおりの正しい答えを返答しただけです。
自殺を決意してから決行するまでの数日間は、もしかしたらK君にとってとても穏やかな日々だったかもしれないという気もします。(考えすぎかもしれませんが。)先生の病気を気遣ったり、貧乏で結婚のお祝いをあげられないのを口惜しく思ったり。
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K君の遺書の内容としては、下記のように書いてありました。
《自分は薄志弱行で到底行先の望みがないから、自殺するというだけ
なのです。それから今まで私に世話になった礼が、極あっさりした
文句でその後に付け加えてありました。世話序(ついで)に死後の
片付方も頼みたいという言葉もありました。奥さんに迷惑を掛けて
済まんから宜しく詫をしてくれという句もありました。国元へは私
から知らせて貰いたいという依頼もありました。必要な事はみんな
一口ずつ書いてある中に御嬢さんの名前だけは何処にも見えません。
私は仕舞まで読んで、すぐKがわざと回避したのだという事に気が
付きました。然し私の尤も痛切に感じたのは、最後に墨の余りで書
き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのに何故今まで生き
ていたのだろうという意味の文句でした。》
最初の言葉「自分は薄志弱行で到底行先の望みがない」はK君の偽りない気持ちであり、そこに絶望を感じていたのだと思います。同時にお嬢さんへの恋心に関する、「退けない弱い自分」を「強い意志で退かせる」こと、何としても「強い自分」になりたかったのかもしれません。
お嬢さんとのことはK君にとって「薄志弱行」の象徴でもあり、遺書にまで自分の「恥」を書きたくはなかったのでしょう。また、お嬢さんに迷惑をかけたくもなかったと思います。
そして、たった一人の話し相手の先生は、K君を殺したわけではないが、助けてあげなかったのですね。
それにしても、長い間自殺することを考えていたようでした。苦しかったと思います。
●K君はなぜ死を選んでしまった
●お嬢さんの人生と生きがいは
●先生が何故自殺をしてしまったのか
●羅生門 人間の本質