先生が何故自殺をしてしまったのか
2009.06.23 Tuesday 10:27
小説「こころ」の中でK君の自殺の原因としていろいろな説があるように、先生がなぜ自殺をしてしまったのかに関しても、いろいろな説があります。
なので、私なりに先生の自殺の原因を考えてみました。
結論としては、自分(先生)がK君を殺してしまった、自分は生きる価値のない人間である、と考えたことにあると思います。
《私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用
出来ないから、人も信用できないようになっているのです。自分
を呪うより外に仕方がないのです》
そのため、
《私は今日に至るまで既に二三度運命の導いて行く最も楽な方向へ
進もうとした事があります。》
しかし死に切れず(命を落としきれず)
《私は妻のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなもの
です。》
の状態でした。
先生が善人や悪人について『私』に話した言葉で、
《平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんで
す。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろ
しいのです。》
これは、ひとつには郷里の叔父たちに先生が突然欺かれたことを意味し、もうひとつは先生自身がK君を欺いたことを指していると思います。
先生が叔父たちに欺かれたことを
《私は他(ひと)に欺かれたのです。しかも血のつづいた親戚のも
のから欺かれたのです。私は決してそれを忘れないのです。私の
父の前には善人であったらしい彼等は、父の死ぬや否や許しがた
い不徳義漢に変ったのです。私は彼等から受けた屈辱と損害を子
供の時から今日まで背負わされている。》
として、非常に恨んでいる様子でした。しかし、まさか自分も悪人になるなどとは夢にも思いませんでした。
ところがこんどは自分が、K君のお嬢さんに対する恋心を聞かされ、またK君がとても悩んでいるのを見て、
《Kが理想と現実の間に彷徨(ほうこう)してふらふらしているの
を発見した私は、ただ一打で彼を倒すことが出来るだろうという
点にばかり眼を着けました。そうしてすぐ彼の虚に付け込んだの
です。》
つまり、自分自身が叔父たちの取った行動と同じ、突然の不徳義漢に変わってしまったのです。そして自分がお嬢さんに結婚を申し込んだことをK君が知った後で、
《Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の格子を開けて、玄
関から座敷へ通るとき、即ち例のごとく彼の室を抜けようとした
瞬間でした。彼は何時もの通り机に向って書見をしていました。
彼は何時もの通り書物から眼を放して、私を見ました。然し彼は
何時もの通り今帰ったのかとは云いませんでした。彼は『病気は
もう癒(い)いのか、医者へでも行ったのか』と聞きました。私
はその刹那に、彼の前に手を突いて、詫(あや)まりたくなった
のです。しかも私の受けたその時の衝動は決して弱いものではな
かったのです。もしKと私がたった二人曠野(こうや)の真中に
でも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場
で彼に謝罪したろうと思います。》
ととても後悔します。そして
《おれは策略では勝っても人間としては負けたのだ》
の念が胸に渦巻きました。
そしてK君が自殺をしてしまいます。
《私は又ああ失策(しま)ったと思いました。もう取り返しが付か
ないという黒い光が、私の未来を貫ぬいて、一瞬間に私の前に横
わる全生涯を物凄(ものすご)く照らしました。そうして私はが
たがた顫え出したのです。》
K君を追って自分も死んでしまうということも考えたと思いますが、こんどは何も知らない妻を残すことができず、妻を道連れにするなどなおさらできません。結局「命を引きずって」生きることになってしまいました。
明治天皇が崩御になり、妻が冗談で「殉死」と言ったことで、突然の自殺の好機が訪れたと感じ、『私』に手紙を書いて、自殺を決行することになりました。
これが、私の解釈です。
ところで、小説の中での「私」の役割ですが、
私はあまり「私」は小説の中での重要性はないのではないかと思っています。小説を成り立たせるために、仕方なく(無理に?)登場させた人物ではないかとも思っています。
「私」がいないと先生が手紙を書く相手がなくなってしまいますし、先生やお嬢さんのインタビュー役もいなくなってしまい、小説として成り立たなくなってしまいます。
最初の先生と「私」との出会いがやや不自然なのもこのあたりにあると思います。(外人もすぐいなくなってしまったし)
ここはあくまで、先生とK君とお嬢さんと奥さんが事実上の主役だと感じています。
●K君はなぜ死を選んでしまった
●お嬢さんの人生と生きがいは
●先生が何故自殺をしてしまったのか
●羅生門 人間の本質