人はみな、基本的には孤独は嫌いです。
特に、人がたくさんいる都会に住んでいる人の方が、田舎に住んでいる人よりも強い孤独感を味わっていることが多い、なんていう話もよく聞きます。
やっぱり、人は仲間と一緒にいる方が、一人でいるよりは楽しいようです。
私も子供のころ、宇宙旅行をするのに一人では寂しいので、できるだけたくさんの人と一緒に宇宙旅行ができたらな! なんて考えて、じゃ、どんな宇宙船がいいんだろう? なんて一人で妄想にふけったこともありました。
じゃあ、誰でもいいから誰かと一緒にいれば楽しいのか? と言われると、それもまた何だか違うような気がします。
人は、誰かと一緒にいると、一緒の人と何か話さなければいけない! なんていうプレッシャーがかかることって、結構ありますよね。
沈黙
この沈黙の時間が、耐えられなく感じられたり、相手の人と何を話せばいいかが分からず、焦ったりすることもあります。
そんなとき、話上手で話題の豊富な人だったら、何かといいなと思えたりします。
話上手な人が話すのを聞いて、こちらもだんだん口が軽くなってきて、ほっとしてまた楽しくなってきたりもします。
でも、時にはこの 「沈黙」 がとても輝く時があるようですよ。
以前 柳美里さんの本を読んで いまも印象に残っていることがあります。
ある時 彼女が自殺未遂をしてしまい、警察に保護されたことがあったそうで、その時のことが書いてありました。
警察で一通りの保護処置が済んで、身元引き受けを誰かにお願いすることになったのですが、じゃあ、誰に身元引き受けを頼むかということで、柳美里さんが警察の人に聞かれました。
その時彼女が考えた候補は 彼女の母か父でした。
(父はその時、別居していたそうです。)
そして 彼女が考えたことは
・母を呼ぶ => 帰りの車の中で、何故こんなことになったのか
根掘り葉掘り 問い詰められるに違いない
・父を呼ぶ => 父は大嫌いだ!
でも、余計なことは聞かないかもしれない
そして結局、彼女は父を呼んだそうです。
そして父との帰り道、彼女の予想通り、車の中で父は何も言いませんでした。
これ、うろ覚えですが おおよそ
《この時間が たった一度の
父との甘い時間だった》
という事を言っていました。
誰かを慰めようとするとき、普通は何と言ってあげようかと考えてしまいますが、そっと見守るだけ、というのがいいこともあるんですね。