本能と感情を基に人は行動するのか

ある人がこんなことを言っていました。

  「人は、

   快を求めて

   苦を避ける」

これを聞いて、なんだかすごく当たり前のような違っているような…

最初に聞いたときは、ちょっと不思議な気分になってしまったことがあります。

   どうなんでしょうか?

この、「快を求めて苦を避ける」って

   本当だと思いますか?

私も長い間、これってどうなんだろう? なんて考えていたような気がします。

少なくとも間違えてはいませんよね。

そして、きっと本能的なことなんだろうと思います。

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ニワトリにも本能がある

子供のころ 田舎の農家ではニワトリを庭で放し飼いにしていました。

そのニワトリ 家の近くに何やら餌になりそうなものを見つけ 近づいて行きます。

すると家主が

   《こら~! それはお前の餌じゃないぞ!!》

と 走って行って ニワトリを追い払います。

ニワトリはびっくりして 走って逃げます。

ところが ニワトリには特技があります。

   《3歩あるくと忘れる》

この特技を発揮し、一度は走って逃げたものの またそのうち何食わぬ顔で 餌の方に近づいてきます。

家主がまた追い払いに行かなければなりませんでした。

この結果がどうなったかは別として、
そうです、ニワトリだって

   快 = (餌)
を求め

   苦 = (危険)

を避けていました。

ただニワトリの場合、残念ながら 脳の記憶メモリの容量がとても小さく、物事をあまり覚えていられない という弱点があったんですね。

人間だったら過去の怖い経験を覚えていて 「あの餌を取りにいくのは危険だ」 ということで、以後はその餌に近づかないのでしょうが。

  「快を求めて苦を避ける」

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とは言ってもこの話は、何を「快」で何を「苦」と感じるのかは動物によって違うんですよね。

虫の中には、他の動物のフンがとても好きな虫がいたような気がします。

が、私は他の動物のフンなど 絶対に好きにはなれません。

神様はアメとムチで人をコントロールしている?

もし神様がいるとしたら、もしかしたら神様は全ての動物を

   アメ(快)とムチ(苦)

でコントロールしているのかな? なんて感じていました。

でも、いまはちょっと考え方が変わっています。

これ、

  「本能」

の話なんですね。

本能が「快と苦」を教えてくれるんですね。

40億年近くの歳月をかけて、本能が進化して現在の本能になったんでしょう。

でも、人間は人間でみんな同じ本能なのに、

   どうして人それぞれ

   好みが違うんでしょうか?

多分人間は他の動物より頭がいい、あるいは、

   記憶力がいいから

なんだろうと思います。

   坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

なんていう言葉がありますが、

人の記憶が「連合」としてつながるんですね。

なので、

   嫌い <- 坊さん = 袈裟

ということで、袈裟が嫌いになるんですね。

でも反対に、

   大好きな人が

   いつも歌っていた歌

なんかは好きになってしまいそうです。

私は子供のころの記憶で、田舎ではあっても、「街」に出かけてワクワクした時、

自動車が横を通りました。そして排気ガスの匂いがしたんですね。

それ以来、結構長い間

   排気ガスの匂いに

   ワクワクした

ことがありました。

こんな経験が、人それぞれ違うから、好みも人それぞれ違うんですね。

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