故・松下幸之助さんの言葉の中の一つに、
千の悩みも一つの悩みも
悩みは一つ
というのがありました。
松下幸之助さんの話では、悩みが五つも六つもあっても、一番大きな悩みに取り組むことで、他の悩みは結局、第二、第三の悩みになってしまう、ということでした。
と同時に、一つの悩みを持つことは非常に大事で、その悩みに取り組むことが逆に、人生の生き甲斐にもなる、ということをおっしゃっていました。
この感覚は私も何だか分かるような気がします。
一つ悩みを解消すると、いつの間にか次の悩みができてきて、悩みを解消できて喜べる時間というのは、ほんの短い間だけという感じです。
どうして他人の悩みはちっぽけなの?
よく病院に入院している人が窓の外を見て感じることは、
体さえ元気で動けたら!
なんていうことを言う人が、結構たくさんいますよね。
そんなことを言いながら、いざ体が動くようになって退院し、仕事を始めたりするとこんどは、
このパソコンさえうまく
使いこなせたら!
なんて、大抵は次の悩みが登場してきてしまうのが普通ですね。
そう言えば以前、難民として外国に逃げた人の話で、
いつ命がなくなるか分からないという恐怖に満ちた生活から、贅沢はできなくても安心して眠れる今の生活はとても幸せだ! と言っていた話を聞きました。
あぁよかったな~、なんて思っていると今度は、その子供たちが不満を言い始めます。逃げた先の外国で生まれた子供たちです。
その子供たちが言うには
(現地の子供たちを見て)
あいつらを見ろ、
俺たちがこんな生活で
我慢してるのに、
あんないい思いをしてる
不公平だ!
確かに、子供たちの不満もよく分かります。どうして自分たちだけ虐げられた生活をしなければいけないんだ! という不満ですね。
でも、昔の恐怖に満ちた生活を経験している親の世代は今の生活に満足していて、子供たちを諭そうとしますが、うまくはいきません。
こうしてみると、悩みというのは何かと比べることでできるんでしょうか?
というか、人が何かを判断する時っていうのは、結局常に何かと比較しているんですね。
この比較するのが周囲の誰かとだったり、昨日の自分とだったり、より大きな悩みとだったりするんですね。
その結果、悩みの中でもいちばん大きな悩みに取り組んでいると、他の悩みはまさに第二、第三の悩みということになって、後回しになってしまうんでしょうね。
結局はいちばん大きな悩みしか、とりあえずは見えないということになるんでしょう。
より大きな悩みを経験した人にとってみれば、もっと小さな悩みを持った人を見ると、
なんだそんな悩みか
大した事ないよ!
なんて本気で思ってしまいますが、悩んでいる本人にとっては大変な悩みかもしれません。
死ぬか生きるかの瀬戸際のような悩みを経験した人にとっては、普通の人の悩みはとてもちっぽけな悩みなのかもしれません。
きっとこの辺が
他人の悩みはちっぽけ
と思える原因なんでしょうね。