言語の文法にはなぜ必ず例外があるのか?

例外のない規則はない、なんていう言葉があるぐらい、日本語にも英語にも、いやそれ以外のどの国の言語の文法にも例外というものがあるようです。

で、

はて?

っと考えてしまったのが、

どうして例外があるの?

ということなんですね。

これ、たまたま何らかの理由で例外があった、なんていうことなら「しょうがないな!」なんて思えるんでしょうが、どうやらどの国の言語にも文法的な例外が必ずあるようなんですね。

不思議でした!

言葉が文法通りだったら、とっても覚えやすくていいと思うんですが、どうしてわざわざ例外なんていうものがあるんだろう?

それも、めったに使わない言葉というよりは、どちらかと言えばとてもよく使われる言葉にこそ例外があるんですよね。

私も一時、どうしてどの国の言葉にも例外なんてあるんだろう? なんて、真剣に不思議に思ったことがありました。
もっとも、いまでもはっきり分かったというわけでもありませんが…

でも、最近テレビなどで人類の進化についていろいろ放送されているのを見ているうち、何となくこうかな? なんていうことを感じ始めました。

原始人やら猿やらから、チンパンジー、そして人類へと進化する途中で、言語とまではいかなくても、鳴き声やらうなり声で外敵が近づいたことを仲間に知らせることや、獲物を見つけたことを知らせることなどが、きっとあったんだろうと思います。

そしてその鳴き声の種類が、人類の進化と共に徐々に増えていったんだろうな、なんて感じます。

スポンサーリンク

そして徐々に、人間同士のコミュニケーションをとる必要が増し、「言語」として発展すると、それまで無節操に追加された言葉では収拾がつかなくなり、覚えるのも大変、新しく言葉を作るのも大変ということで、仕方なく言葉に共通の規則(「活用」などの文法)が出来上がったのかな? なんて感じます。

でも、新しくできる言葉の場合と違って、いままでみんなが使っていた言葉にまで、新しい文法の概念通りに言い方を変えなさい、なんて言われても、それは無理というもの。いままで通りの言い方を変えようとする人なんていませんよね。

そう言えば、ひと昔前に、

「エスペラント語」

という世界共通の言語を作って、みなさんこの言葉で世界共通に話しましょう、なんていう話があったように思いますが、結局ほとんど普及しなかったですね。

そりゃそうでしょう。

せっかく慣れ親しんだ言葉があるのに、また別の言葉を新しく覚えて、それを使いなさいなんて言われても、誰も使いたがらないでしょうね。

それと同じで、いったんみんなに普及してしまった言葉を、新しくこういう文法ができたから、こういう言い方に直しましょうなんて言われても、まぁ、誰も変えようとはしないと思います。

そして、文法なる概念ができ上がる前にできてしまった言葉が、いわゆる「例外」として存在してるんだろうと思います。

だからこそ、よく使われる基本的な部分に文法の例外が多いんでしょうね。

ひとりごとでした。
失礼しました。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする