平和な日常は、いつも目の前に

平和で幸せな日常なんて、なかなか、実はそれが平和なことだった、なんて気づかないもんですね。

人は、いいことなのか悪いことなのかっていう判断は、何かと比較をしてみないと、なかなか分からないようです。

幸せなのかどうかっていうことも、やっぱり何かと比較をしないとよく分からないみたいです。

実は私、好きなテレビドラマは何度も見直すクセがあるので、とっくに観たドラマでも、

何度も見直すことがあります。

先日も、ふと思いだして、また観たくなってしまった古い「水曜日の情事」なんですが…

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このドラマも、観ていると、だんだんとドロドロとした愛憎劇が始まり、人を引き付けて離さなくなってしまいます。

ちょっとした仕草、行動、言い方なんかが、いかにも人間臭さを表現していて、

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あそこは、どうしてあんなことを言ったんだろう? どうしてあんなことをしたんだろう? あの時、何をどう感じていたんだろう? なんて、いろんなことが気になりだします。

そして、また初めから見直します。

こんなことをくり返した、ある時、感じたことがあったんです。

この

   何度も見る

    第1回目のシーン

のことでした。

そこには

   平和で幸福な日常が満載

でした。

ドロドロとした愛憎劇を繰り返し、苦しんでいく彼らが

もしも、もう一度、この最初のシーンに戻ることができたら

どんなに幸福を感じるだろうか、なんて思ってしまいます。

でも、気づかないんですよね。

見てる方も、フンフンなんて 見流してしまいます。

最初にここを観てたときは、これが幸福な日常だったなんて、思いもしませんでした。

どんな平和も幸福も、より悪いことと比較をする機会があるか、よっぽど意識をしないと、なかなか気づかないもんだな~と、つくづく感じてしまいました。

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