人は信じたいことを信じる、という傾向が強いようです。
ずいぶん前の話ですが、競馬の馬券を買っていたころがありました。
何日か前から、このレースはどの馬が勝つんだろうか? なんて
一生懸命考えるんですが、
やっぱり、この馬かな?
なんて思って、
よし!
これで行こう!
と決断して、馬券を買いました。
不思議なのは、その後でした。
それまではどの馬が勝つかで検討していて、どの馬にも勝つチャンスが
ありそうに思えていたのに、馬券を買った後では
自分が馬券を買った馬が
勝つのが当然
のような気がして来るんですね。
なんか、まさに
信じたいことが信じられる
という話になっちゃうんだと思います。
この話は、占いなんかでも言えるんじゃないでしょうか。
占い師の人に言われたことが、とくに
そうであって欲しい
という内容だったりすると、つい信じてしまうのは当然のような気がします。
ところで、私が受講していた放送大学の「教育心理学概論」という科目の中で、
[確証バイアス」
という話がありました。
これは、次のような問題を出された人が、その答えを出すまでに考える考え方です。
例
私が考えた3つの数字を
並べるルールを当ててください。
ただし、いきなり答えるのではなく
これはルールに合ってますか?
と聞いて、わたしが
「はい」か「いいえ」で答えます。
ルールが分かったところで、
答を言ってください。
というもので、すると答える人は、
2、4、6 は合ってますか?
→ はい
6、8、10は合ってますか?
→ はい
ここで分かったような気がして
「2ずつ増える数字の列」ですか
→ いいえ
あれ? じゃあ、
1、3、5 は合ってますか?
→ はい
6、7、8 は合ってますか?
→ はい
何となくわかりました。
真ん中の数字が、両端の数字の
中間になっている、ですか?
→ いいえ
これが結構難しくて、なかなか当たらないものなんだそうです。
答は
増えていく3つの数字
ということで、後の数字が前の数字より増えていればいい、というルールでした。
ここで、何が言いたかったのかというと、
人は多くの場合、
これは正解だろう!
という例を思い浮かべる
という傾向がある、ということでした。
この傾向のおかげで、錯覚を起こしてしまうこともあるようです。
例えば、
雨ごいをすると雨が降る!
この雨ごいという習慣は、世界の多くの地域で古くから行われていました。
どうしてか、というと
雨ごいをすると
雨が降るから
という理屈のようです。
なぜそうなるのかというと、
雨ごいは
雨が降るまでやる
からなんですね。なので、
雨ごいをした
→ 雨が降った
ということになり、こんな経験を何度もすることで、
雨ごいをすると
雨が降る
ということになっちゃうんですね。
雨ごいをしなかった時
雨が降ったのか?
という検証は、なかなか発想が湧かないようです。
さっきの、2,4,6は? の問題でも、大抵の場合は、当たっているだろう
という例だけを考えてしまい、これは外れだろう? なんていう例は
なかなか考えることが少ない傾向が、人にはあるようです。
これは、占いでも似たようなことが言えるようで、
外れた予言にはあまり注意が向かず、
当たった予言だけが、特に印象に残ってしまう。
その結果、占いがよく当たる、という印象を持ってしまう、
とも言われているようです。