馬鹿げた一貫性は偏狭な心に棲む子鬼、グッドワイフにみる人間心理

社会心理学の考えがたくさん詰まった本「影響力の武器」の中に、人の心の

  一貫性

の力が書かれていました。

人は一度態度を表明してしまうと、つい何も考えずにその後も一貫した態度をとろうとしてしまう、という心理です。

多くの場合は望ましい結果をもたらすはずの「一貫性」が、時として悲しい結果につながることもあります。

「影響力の武器」の中では、このことが

 「馬鹿げた一貫性は、偏狭な心に棲む子鬼である」

(エマーソンの言葉)と表現されていました。

ドラマ「グッドワイフ」第9回の中にも、この馬鹿げた一貫性をはじめとする

 「偏狭な心に棲む子鬼」

たちに翻弄される人たちが描かれていました。

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あなたを信じられるかどうか、そればっかり考えていた

平和な4人家族の夫に、突然の収賄容疑と不倫スキャンダルが降りかかりました。

これはある人物による実に巧妙な罠で、夫は不倫を認めてしまい、一時は妻も夫の収賄をも信じてしまったのでした。

逮捕とスキャンダルがテレビで報道されて以来、妻は

 「この数か月
  あなたを信じられるかどうか
  そればっかり考えてた」

  グッドワイフ・コミットメントと一貫性

という状態でした。そしてここから

 「偏見」
 「一貫性」

の歯車が回り始めてしまいました。

「夫は本当に信じられる人物なのか?」

その後、この収賄容疑と不倫スキャンダルはどちらも濡れ衣だったことが判明しました。

しかしいちど起きてしまった、妻から夫への

  疑惑の目の「一貫性」

  疑惑による「偏見」

という思いはそう簡単には消えません。

そこに飛び込んできたのが、ある男の「告げ口」です。

3年前の、夫と夫の部下だった女性との不倫の現場の写真を見せて、その男が言ったのが次の言葉でした。

 「まあ、結局のところ
  そういう人間なんですなあ
  蓮見という男は」

この言葉に妻は飛びついてしまいました。そしてとうとう離婚のための書類を作成して夫を迎えたのでした。

妻にとって、夫に対して一度は抱いてしまった「偏見」と、その「一貫性」が崩れかけてしまい、混乱しかけていたところに、「告げ口」という助け船が登場したのでした。

社会心理学の中で「自分を知り、自分を変える」(Stranger to Ourselve’s)の中の話で、

 「良い気分基準」

という話がありました。

人は物事を解釈するとき、自分がもっとも「良い気分」になれるように解釈する傾向があるようです。

そして、ここでの「良い気分」とは、将来的な幸福につながるための良い気分ではなくて、

一時的な頭の混乱を避けるための「夫を疑う一貫性」にとっての「良い気分」だったんですね。

 「Stranger to Ourselve’s」(自分にとっての見知らぬ人)

自分の中にいる、もう一人の自分…

 自分の中に敵がいる!

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ということですね。

もし濡れ衣がなかったら

もし、それまでの平和な家庭の中に、突然3年前の夫の不倫の事実が飛び込んで来たらどうだったでしょうか。

確かにもめたでしょう。夫婦の諍いも起きたろうとも思えます。

ただ、いきなり離婚にまで発展することはあり得ないだろうと思います。

夫は3年間、ずっと家族のことを考えていたわけですから。

3年前、夫は部下のDVの相談にのってあげました。

カウンセリングの世界では、カウンセリングの過程で、クライアントがセラピストに特別な感情を抱くことがあると言われます。

そしてここでは、部下は相談にのってくれた夫に対して特別な感情を抱いてしまいました。

プロのセラピストならそのことに十分な注意をするのでしょう。

でも夫は素人でした。部下の特別な感情に一度だけとはいえ、応じてしまったのでした。

「夫は不誠実」の思いがはっきりとしたものになってしまうと、すべての行為が不誠実に見えてしまいます。

妻の同僚が妻に対して告白した留守電を、夫が内緒で消してしまったことまで、「夫の不誠実」に感じてしまったようでした。

人間心理による考察のその他

妻の立場で考えれば、夫のスキャンダルで自身が夫に対して偏見を持ってしまったことは仕方のないことで、

同様に、妻とその家族が周囲から偏見の目で見られてしまったことも仕方のないことだったかもしれません。

そして結果として、妻は夫のことで

  人間関係を全部
   失ってしまった

のでした。こちらも一貫性の原理で、簡単には元には戻りません。

そんな中、多田という男性の親切と好意は、孤独の妻にとっては

 「闇の中の 一筋の光」

のようなものだったでしょう。

ドラマの中の蓮見検事の一貫性

また、この一貫性は夫の蓮見壮一郎にも言えることですね。

検察を強くしたい蓮見にとって、検察に有利な司法改革をする政治家南原は、ある意味蓮見にとって味方のはずでした。

それでも、南原の不正を見逃そうとした佐々木検事に、こう言いました。

 「国のために 不正を
  見逃すのが正しいと思うなら
  お前は もう検事じゃない」

そして、正義のため南原を告発し、不正を暴きました。

この「正義のため」の一貫性があるからこそ、自分の危機を救ってくれた、恩ある多田弁護士の不正を知って、多田弁護士を告発しなければ、と思ったのでしょう。

検事正として復帰したいま、もし多田の不正を見逃すならば、それは

  検察と弁護士の癒着

であり、こんどこそ本当の犯罪者となってしまいます。それ以上に「正義の一貫性」に背いてしまいます。

またこの調査には脇坂という男に当たらせました。

 「徹底的にな!」

という指令と共にです。

脇坂という男はこういうことには長けています。

そして調査される側には自分の妻・蓮見杏子が絡んでいる可能性も感じていたのでしょう。

だからこそ、自分で調査することは避け、

さらに調査の途中で自分の妻の名前があがったからといって手を緩めるな、という意味で「徹底的に」との指示をしたのだと思います。

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