来世と前世はあるの、あるなら来世は楽しみ

前世や来世って、あるんでしょうか?

まぁ、こんな難しいことが、私ごときに分かるわけもありませんが、

でも、あったら楽しみだな! なんて思ったりしています。

来世は何に生まれ変わろうか? やっぱり自由奔放な生き方ができる「猫」がいいですかね。

明日に思い煩わせられることなく、

  「今を生きる」

ことができる猫が、とっても羨ましかったりします。

でも、来世や前世って本当にあるんでしょうか?

たぶん、現世だけは今ここに、確実にあるんだろうとは思いますが。

そんなファンタジーの世界を、ちょっとだけ空想してみました。

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私が以前読んだ本の中に、私の好きなセラピストの石井裕之さんという方の、ピアノとピアニストについての話がありました。

正確には覚えていませんが、だいたいこんな話です。

  ある所にピアニストがいました。
   天才的なピアニストでした。

  そのピアニストがピアノを演奏すると、
   周りの人たちはみんなうっとりとしてしまいます。

  そのピアニストには、きっと
   ピアノを上手に演奏する才能が
   あったのでしょう。

  ところがある時、なぜか
   この世からピアノというピアノが
   すっかりなくなってしまいました。

  なので、もうその人は
   ピアノを演奏することが
   できなくなってしまいました。

  大変です。

  そのピアニストには
   素晴らしい才能があるのに、
   もう誰にも分かってもらえなくなって
   しまいました。

ということなんですが…

  はて?

ここで頭をひねってしまうことになりました。

  んっ?

  そのピアニストは、
   もうピアノを弾けなくなってしまった。

  ということは・・・
   そのピアニストの才能も
   無くなってしまった、
   ということなんだろうか?

というお話で、・・・

考えるに、

たしかに、そのピアニストには才能があることは、もう誰にも分からない。

でも、やっぱり

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  ピアニストの才能は
   無くなってはいないに違いない。

と思えてしまいます。

またこの世に素晴らしピアノが表れた時、そのピアニストの才能は

再び鮮やかに復活するに違いないと思うんですね。

  ところで、

   これ!

このピアニストの才能とピアノとの関係って

  人の命と体との関係に

   似ていないでしょうか。

  人が亡くなるということは、

   ちょうどピアノが無くなった

と同じで、

  使える体が無くなった

というだけで、才能に匹敵する

  「命」

そのものは無くなったわけではない。

ただ、

  他の人から見えなくなってしまっただけ

と思うことはできないでしょうか。

私も、親の死を経験していますが、亡くなったとはいうのに、体は無くなってはいませんでした。

穏やかに横たわっていただけのことでした。

もしかしたら、ピアノの寿命が尽きて弾けなくなってしまったように、体の寿命が尽きて、動かせなくなってしまっただけで、

  命は

  どこかで生きている!

のではないか? なんて思いたくもなります。

とすると、

ピアニストの前に、再び新しいピアノが現れた時のように、

  命が再び

   新しい体を見つけた時に、

また新しく生まれてくる、なんていうことになるのかもしれませんね。

こんな風に考えると、前世や来世なんていうものが、もしかしたら本当にあるのかもしれない、なんて楽しい気持ちになってきそうです。

来世は何がいいかな?

徳川綱吉なんかがいいかな? 坂本龍馬みたいな人生もいいかな? あるいはクレオパトラみたいな絶世の美女に産まれてみるのもいいかもしれない!

いや、

でもやっぱり、「猫」でしょ!

私が子供のころ飼っていたいた、おとなしい猫に。

そして、子供のころの私に、思いっきりかわいがってもらうのがいちばんのような気がします。

ん?

そもそも、来世って自分で選べるんでしょうかね?

とまぁ、私のつたない空想の世界にお付き合い頂き、ありがとうございました。

来世の世界も楽しみでいいのですが、とりあえず、残り少ない「現世」をまじめに頑張ってみようと思います。

今あるピアノを粗末にしちゃったために、素晴らしいピアノが来てくれなくなってしまった!

なんてなっちゃったら大変なので。

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