人は何故生きるのでしょうか?
恐らくこの答をしっかりと答えられる人はいないと思います。
でもひとつだけは、
人は幸せを求めている
ということだけは言えると思います。
その幸福を得るために、じゃあ何を得ることができればいいのか、それは人それぞれなんでしょう。
でも、最終的にはほとんどの人は「幸せ」を求めていると言ってもいいと思います。
そして、その「幸せ」がどこにあるのかが分からない。
井上陽水さんの「夢の中へ」では、こんな風に言われています。
《カバンの中もつくえの中も
探したけれど見つからないのに》
たしかに、見つかりませんね。簡単には姿を現してくれません。
それでも人は何とかして「幸せ」を探してしまいます。
《まだまだ探す気ですか?》
はい、これは一生涯をかけて、誰もが探し続けるものなんですね。
幸せになるためには
いい学校に入りましょう
そのためには
しっかり勉強をしましょう
遊んでばかりいては
いけません!
高校に合格するまでは…
大学に合格するまでは…
結婚するまでは…
子供が大きくなるまでは…
家のローンが終わるまでは…
現役で仕事をしている間は…
幸せを探しているうちに、何が幸せなのか、どうやったら幸せになれるのかが分からなくなってきてしまいます。
何が目的で、何が手段なのかが分からなくなってしまいます。
《はいつくばってはいつくばって
いったい何を探しているのか》
そして、いつしか自分が何を探しているのかが分からなくなってしまいます。
だからこそなんでしょうね。
《探すのをやめた時
見つかる事もよくある話で》
そうなんですね。何かの拍子に見つかるのかもしれませんね。
だいぶ前ですが、工藤静香さんの歌で、「激情」というのがあって、その中に
《諦められたら
どんなに楽か分からない》
という歌詞がありました。
私はこの気持ちが、よ~く分かります。本当にそうだと思います。
でも、諦められないから辛いんですよね。
中学生のころ先生に聞いた話で、もう正確には覚えてはいませんが、当時はただひたすら笑っただけでした。
ある人が未開に人種の人に言いました。
毎日遊んでばかりじゃダメです
しっかり働かないと。
>働くとどうなるの?
お金がたくさんもらえるよ
>お金が貰えるとどうなるの?
いい家に住むことができるよ
>いい家に住むとどうなるの?
楽しく幸せに暮らせるよ
>でもいまとっくに
楽しく幸せにくらしてるよ
話の正確な流れは忘れてしまいましたが、結局は最終的な目的と思っていたものが、実は今既に手にしているものだった、という話でした。
今から百年以上前の哲学者が言った言葉で、
欲望は、それによって
利益を得ようとする
者によって作り出される
というものがあります。確かにその通りですね。
次から次へと、人の欲望を刺激する商品が生み出され、人々は次々とそれらを手にし、いつの間にかそれらの商品を持たなければ「幸せ」を手にすることはできない、という錯覚に陥ってしまっているんですね。
《それより僕と踊りませんか?》
もしかしたら、人の幸せはもっと素朴なもの、
歌や踊りの
日々の中にある
のかもしれません。
歌って、踊って、仲間とおしゃべりをして、素朴な世界へ…
《夢の中へ夢の中へ》
もしかしたら、これが本当の「幸せ」に近づく道なのかもしれません・・・