幸福学白熱教室での幸福の条件その2、親切心と感謝および方法

幸福学白熱教室では、幸福になる人の条件としてエリザベス・ダン博士があげてくれたのが、

  1.人との交わり
  2.親切心
  3.ここにいること

の3つでした。

ここでは、この中の「2.親切心」について、復習ということでどんな内容だったかを整理してみたいと思います。
あとついでに、親切心の発揮しかたについて、ちょっと考察をしたいと思います。

ちなみに、「1.人との交わり」とは、社会との結びつきが強いことや、友人や家族と良好な関係を築いていることが大事、という話で、
「3.ここにいること」とは、「心ここにあらず」にならないで、いま目の前のことに集中することが大事という話でした。これは「マインドフルネス」としての考え方と同じですね。

ダン博士によると、

  「幸福とは
   ケーキを焼くようなもの」

毎日、ゼロから作り上げるんだそうです。

「昨日幸福だったので、黙ってても今日も幸福」とはならないという、この話、よ~く分かります。
あと、宝くじに当たっても、その時は幸福でも、しばらくすると幸福感はなくなっていて、逆に不運な事故にあっても、その時は不幸でも、しばらくすると結構元に戻っているということで、

  「幸不幸は
   自分の身の上に起こった
   出来事で決まるわけではない」

という。

その幸福を手にするための条件2、「親切心」をもう一度思い出しましょう。

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幸福な人の条件の2番目は親切心と感謝

幸福学白熱教室の中で、幸福のレシピとして、エリザベス・ダン博士が挙げたてくれた、幸福な人のための3つの条件の中の2つ目が

  「親切」

でした。

これは、例えばボランティア活動のような、人を助けようとする行動は より大きな幸福感を得るのに役立つし、また、幸せな人の方が ボランティアに積極的だという傾向もあって、

  「無作為に人に親切にするだけで
    幸福感は高まる」

ということが分かってきたようでした。

この「親切」ということに関して、リュボミアスキーという博士が行った実験によると、結構面白いことが分かってきました。

実験その1

  ・学生たちに週に1日だけ
   5つ親切にする

この単純な行動で 学生たちの幸福感が増した、との結果がでたそうです。

実験その2は

  ・学生たちに
   1日にひとつだけ親切にする

そうすると意外なことに、こちらの方は、幸福感の増加にはあまり役立たなかったようです。
つまり、親切はなるべくたくさん行う方がいい、ということだったようでした。

「お金を使う」ということに関しても実験をしてましたが、その結果は「自分のためにお金を使う」ということよりも、「他人のためにお金を使う」時の方が、ずっと幸福度が上がっていたとのことでした。

ただし、こんなことも言っていました。
たとえば、自分の子供のために義務でお金を使うといった行為で 幸福感は得られるのか? という話がでましたが、幸福を得るためには、自身の積極性が必要で、義務感からの支出などでは幸福感は得られにくいようでした。

誰かにおごってあげるのは気分が良くても、巻き上げられるのは面白くない、みたいな感じでしょうか。

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また、親切と対になるということで、「感謝」についても 日記を使った面白い実験をしていました。

実験は、参加者を2つのグループに分け 週に1日10週間

  ・ひとつのグループには
    ごく普通に日記を書いてもらいました。

  ・他のグループには どんな小さなことでもいいので、
    感謝の気持ちを綴る、感謝日記を書いてもらいました。

感謝日記には 両親のこと、好きなロックバンドのこと、朝を迎えられたことなど、いろんな感謝が書かれていました。

そして10週間後、この2つのグループの幸福度を比較してみました。

そうすると、感謝日記を書いたグループの人たちは、ただ日記をつけていたグループの人たちよりも驚くほど幸福感が増していたとのことでした。

そして最後に

  「この実験は、人に親切にし感謝の時間を持つことが
   あなたを幸福にしてくれることを
   明らかにしてくれました。」

と結ばれていました。

実はこれだけではなくて、20世紀初頭の修道女が書いた自伝を調査した結果と、その後の寿命との結果でした。20歳台で幸福度の高い(上位25%)自伝を書いた修道女の90歳の生存確率が70%なのに対して、幸福感の少ない(下位25%)自伝を書いた修道女の生存確率が30%に過ぎなかったとのことでした。

ちょっと恐ろしいほどの話ですね。

そう言えば、日本での祈りはお願いから始まるのに対して、イスラム教の祈りは感謝から始まる ということをどこかで聞いた気がします。
この、感謝から始まるというのは、幸福という観点からはとてもいい習慣なのかもしれないと感じます。

私もこんど神社に行った時には、お願いじゃなくて「感謝」をした方がいいのかな、とも思っています。

人に親切にする方法と考え方

「親切心」の中で、誰かに親切にするということを考えた時、

   身近な人に親切にする

というのが思いつくかと思いますが、私にはこれがちょっと気になります。
いつも顔を会わせる人に親切にすると、つい相手からの親切も心のどこかで期待してしまいそうです。
でも現実はなかなか思うようにはいきません。その結果

   逆に不満を感じてしまう

結果にもなってしまいそうです。

  「俺はお礼をして欲しいなんて
   全然思ってはいないけどさ、

   でも、こういう時、普通は
   お礼をするもんだろう?」

なんて思ってしまったら、たちまち逆効果になっちゃいますね。幸福感どころか、不満とイライラになっちゃうかもしれません。
そのためには、相手がお礼ができないような方法、またはお礼をしなくてもいい場面の方が、より安心できそうです。

たとえば、

   相手の話を聞いてあげる
   老人や障碍者の世話をする

あるいは、やっぱり

   道を聞かれる時のような、
    見知らぬ相手
   コンビニで買い物をした時の
    レジでの笑顔

みたいな感じでしょうか。

また逆に、いつも親切にしすぎた結果、「それが当たり前」になってしまって、「やらないと恨まれる」みたいな状況になるのも、ちょっとね~… とも思ってしまいます。
   (それが当たり前)「ときどきご褒美の魔力」

それなら、「ボランティア」という形の方がいいのかな、とも思ってしまいます。

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