理由なき反抗のラストは親子が理解しあえない難しさ、子供の反抗の理由は

ジェームス・ディーンが主演する映画

  「理由なき反抗」

は、見れば見るほど、なかなかに奥深い問いを、見る者に問いかけてくれています。

 

ここでは、この映画を通じて、なかなか理解しあえない

   親子関係の難しさ

を見て行きたいと思います。

特にラストシーンは、

親子がそれぞれ全く別のことを考えている、

   すれ違いの典型

のようなシーンとなっています。

親にとっての、子供理解の難しさ、

そして、子供にとっての悩み、苦しみは

決してここでの主人公ジムだけのものではありませんね。

世の、多くの若者が、そして親たちが感じる苦悩なんだと思います。

「理由なき反抗」と言われた反抗の理由を、ここで探っていきたいと思います。

注. この後はネタバレが含まれますので、ご注意を!

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理由なき反抗のラストに見る、親子のすれ違い

息子ジムの暴力沙汰が原因で、新しい街に引っ越してきた、

ジムの家族の話です。

チキン(臆病者)と言われたことで、

暴力沙汰を起こし、引っ越すことになったたジムが、

新しい学校でもまた、チキンと言われて、また喧嘩騒ぎを起こします。

そして、とうとうバズという子供と、命がけの危険な自動車レース

  「チキンレース」

をすることになってしまいました。

そして、その結果、

何と、相手のバズという子供の方が、崖から落ちて、亡くなってしまいました。

でもレースの直前には、喧嘩相手だったはずのそのバズは、ジムに

  「俺はお前が好きだ」

と言ってくれたのでした。

そして、レースの結果は、そんなバズの方が

亡くなってしまったのでした。

そして、ストーリーのラストでのこと、

秘密の隠れ家のプラネタリウムでは、

親たちからの通報で駆け付けた警官が周囲を取り囲み、

ジムは、拳銃を持ったジョンを何とか助けようとして、拳銃から球を抜き取るのですが、

拳銃を持って興奮するジョンを見て、警官がとうとうジョンに発砲し、

ジョンは死んでしまったのでした。

横たわるジョンの、赤いジャケットを直してあげ、

泣きながらジュディと一緒に立ち去るジム。

   ・・・

直前でのチキンレースでは、自分を

   好きだ

と言ってくれたバズを死なせてしまい、

いままた、自分を家族のように慕ってくれたジョンを守ることができず、

死なせてしまった。

こんなジムの悲しみ、絶望の前で、

ジムの両親は、顔を見合わせてにっこりと笑っていました。

  「死んだのが

   息子のジムじゃなくて

   よかった!」

親子が理解しあえない難しさがここに

この映画での、親子が理解しあえない難しさの

象徴のようなシーンが、このラストのシーンでしょう。

最後には、ジムを

  「お前が好きだ」

と言ってくれたバズを殺してしまい、

さらには、自分を親友、それどころか、親のようにも慕っていた、

孤独な少年ジョンをも助けることができず、死なせてしまった。

こんなジムの悲しみ、罪悪感、苦しさ…

でも、親が感じていたのは、全く別のことでした。

親にとって、ジムが着ていた赤いジャケットの少年が撃たれて死んだ!

一瞬、

   息子のジムが死んだ!

と思った、その直後、

実は、死んだのは他の子供だった、と知り、

   ほっとした

のでしょう。

ラストは、失意のどん底で、ジュディと一緒に歩き去るジムを、

両親は、互いに顔を見合わせ、笑いながら見送っていたんですね。

親子とはいえ、立場は全く別。

そして、その立場の違いゆえに、考えも違う。

だから、最後まで親には、ジムの気持ちは伝わらなかったんですね。

バズとのチキンレースの次の日、

ジムは、ジュディに

 「不思議だな
  今朝 目を覚ましたら
  太陽が輝いていて
  すべてが すばらしく
  明るく見えた

  ・ ・ ・

  死にかけた」

と言っていました。この

  「すべてが輝いている」

というのは、一度は死を覚悟した人間が感じることなんでしょうか?

チキンレースの当日、

命がけのレースを戦う相手として、

バズはもう、ジムを親友のように感じ始めていたようでしたね。

「車を見に行こう」と、ジムに車を見せ、

 「ドアを調べろ
  飛び降りてみろ」

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 「ここだ
落ちたらオダブツだ」

と、ジムのことを心配していました。

そして、

 「白状しとこう
  お前が好きだ」

とまで言ってくれたんですね。

「じゃ、なぜ?」と問うジムに

バズの返事は

 「しなきゃならんのさ」

この言葉は!

ジムがこのレースをする理由とまったく同じなんですね。

この瞬間は、それまで敵だった二人の心が通いあった瞬間だったのでしょう。

でも、その直後、結局バズは死んでしまいました。

  「自分が意地を張らなければ、

   バズは死なずに済んだ!」

きっと、そんな思いがジムの頭に浮かんだろうと思います。

そんな思いを家族に話し、警察に行こうとするジムを、

家族は思いとどまらせようとします。

いや、ジムの話を最後まで聞こうともしません。

 「バカ正直はよせ
  だれのために そんなことを」

家族はジムを思いとどまらせるのに精一杯で、

ジムは気持ちを話すこともできませんでしたね。

子供の反抗の理由をどう見ればいいのか

「理由なき反抗」と言われる反抗の理由は

いったい何だったんでしょうね。

私は、この映画の冒頭の警察署でのシーンに、

その答えがほぼ詰まっていたと感じます。

家族そろって、ジムにいろんなことを言うので、ジムが

 「僕をバラバラにするのか

  ああ言ったり こう言ったり
  皆が違う」

と、切れそうになると、

警官レイはジムを隣の部屋に連れて行きました。

そこで、ジムが警官レイに話したのは、
(ドアののぞき穴から家族の様子を見て)

 「まるで動物園だ」

 「みんながバカにして
  パパを小突き回してる

  あんな人間には
  なりたくないんだ」

ということでした。

ジムが家族の中で唯一相談できるのは、

   父だけ

と感じていたにも関わらず、

その父は、まるで家族からバカにされ、頼りにならない存在だったのでした。

そして結局、誰もジムの話など聞いてくれず、

ジムに、ああしろこうしろ、というばかりだったんですね。

家族の様子を見て

  「まるで動物園」

って、どんな気持ちで言ったんでしょうね。

  「あんな人間には
   なりたくない」

のことを、警官レイが

  「チキンか?」

というと、ジムは

  「分かってくれますか?」

そして、少し落ち着いてきて、さらに

  「あんな家で生きたくない」

警官レイに話を聞いてもらえて、

ジムも少しずつ落ち着きを取り戻したんですが、

その次のレイの言葉

 「そんな家は多いが
  皆 生きている」

この言葉も切ないですね~。

多くの少年犯罪や事件を手掛けたであろう、警官レイは、

よく分かっていたんでしょう。

そして、ジムも警官レイに、自分の気持ちをぶつけます。

 「1日だけでもいいから
  落ち着いて ものを考え
  恥ずかしさを忘れて
  暮らしたい

  本当に自分の家にいるように

そして、警官レイの言葉、

 「ジム 君に頼みがある
  今度 我慢できない時は
  来てくれ

  ただ話し合うだけでもいい
  私となら気楽だろ

  夜でもいい」

説教でも何でもない、

本当に

   人と人との会話

だったんですね。

ラストシーンでも、ジムが最後の最後まで、

警官レイと交渉したがっていた理由が、よく分かります。

まとめ

映画のタイトルは

  「理由なき反抗」

ではあるんですが、

こうしてみると、反抗の理由は立派にあるんですね。

理由がないように見えるのは、

   親の立場から見た

ときのことなんでしょう。

最後に、事件の現場(プラネタリウム)に向かう車の中で、

ジムの母親が口にしていた言葉、

 「分からない
  どうしても分からない

  新聞ではよく子供に
  こんなことが起きるけど

  まさか自分の子供に」

不思議と言えば、不思議です。

本当に分からないのか、分かりたくないということなのか?

でも、警官レイによれば

 「そんな家は多い」

んですね。

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