人工知能ブームはいずれ終わるのか

いま人工知能に関する話題がそっちこっちで聞かれます。

ネットを開けても新聞を開いても、人工知能やディープラーニングの話題が出ない日はありません。

毎日毎日この話題を見せられて、いい加減食傷気味の人も多いかと思います。

まさに、

  人工知能ブーム

と言えますよね。

でもブームと言うからには、いずれは終わるものというのが相場です。

はたして、この人工知能ブームは終わるのでしょうか。

スポンサーリンク

人口知能ブームの終焉

この人工知能のブームに終焉がくるのかどうかと言えば、

  ブームの

   捉え方次第

と言えるでしょう。

いま「AIだ」、「人工知能だ」、「ディープラーニングだ」と大賑わいしているという意味でのブームはやがて終焉を迎えるでしょう。

人はいつまでも同じことに強い興味を持ち続けることは難しいので、いずれはあまり人工知能やディープラーニングといった話題はそれほど聞かれなくなります。

ただ、話題が聞かれなくなったから人工知能は無くなったのかと言えば、それは違いますね。

人工知能は今までになかった革新的な技術です。

人工知能に自我や意識を持つ日が来るかと言えば、それはきっと夢物語なのでしょうが、一度出来上がった技術は消えません。

人工知能が社会に深く根ざして浸透した時が、表面上のブームは終了と言えるでしょう。

社会は人口知能と共に

たとえば人工知能と立場上似たような位置にあるのが、

  インターネット

でしょう。

何が似たような立場かと言えば、以前インターネットが登場した初期のころ、

インターネットブーム

があり、みんながインターネットインターネットと騒いでいて、

  繋がったよ

  こっちはまだだよ

  マックの方が簡単だよ

  こんなホームページが
   あったよ

などと言う言葉がたくさん出てきました。「インターネット研究会」のような研究会もあちこちにずいぶん登場してきました。

でもいまは「インターネット」をことさら強調して話すことはありません。

社会の中に深く根付いていて、「ネット」などとさらりと表現されてしまい、当たり前のようにみんなが使い込んでいます。

そういう意味では「インターネットブーム」はとっくに終わったのだと言えます。

でもインターネットは無くなってはいませんよね。

思えばスマホが初めて登場した時もかなりセンセーショナルに騒がれて、

  スマホブーム

に近いものがあったと思います。

そしていま、スマホも社会に深く浸透しています。

人工知能もこれと同じ立場です。それは

  人工知能は

   社会のインフラ

として、製造現場、医療現場、政府、軍など、社会のあちこちで普通に利用される日がくるのは確実です。

その時はもはやブームとは言わず、スマホだったりインターネットだったりと同じように社会のひとつの要素として溶け込んでしまった時です。

ブームの終わりとして考えれば、この時がブームの終わりでしょう。

スポンサーリンク

人口知能の影響はどうなる

  「人工知能に
   仕事を奪われる」

  「人工知能が
   新しい仕事を生み出す」

と言ったちょっとセンセーショナルな表現について、どう考えればいいでしょうか。

もしかしたら残念に思う人もいるかもしれませんが、人工知能ブームが去ったからといって、この事実はなくなりません。

いわゆる「ご時勢には逆らえない」と言ったところです。

たとえば昔は

  電話交換手

という仕事が電話の登場によってもたらされましたが、電話交換機の登場でこの仕事はほぼなくなってしまいました。

同様に、コンピュータの登場でプログラマーという職業ができましたが、パソコンの普及でオフコンが衰退してしまい、技術者も活躍の場が奪われてしまいました。

カゴや馬、馬車、自動車などといった乗り物の変遷によっても、必要とされる職業は次々と変化してきたのは世の常と言えるでしょう。

じゃあ、

  人工知能で新しく

   必要となる職業は何だ!

ということですが、そのためには人工知能ブームの起爆剤となった

  ディープラーニング

で考える必要があるかと思います。

ディープラーニングで画像から

  犬と猫を
  見わける

ということがかなりの確率でできるようになった、という話を聞いた方も多いと思います。

このことを題材に考えた時、

  どうして犬と猫を
   見わけようと思ったの?

  何を元にして
   見わけるの?

  そのためのデータは
   どうやって集めるの?

  見わけるとどんな
   いいことがあるの?

などのような、どうやら人間じゃないとできないような仕事が新しく登場してくるでしょう。

「どうして犬と猫を見わけようと思ったの?」という、「こと」の本質の始まりは、

「見わけるとどんないいことがあるの?」ということでもある、

  人間の
   本能的欲求

にあります。

つまり、

  ・この問題は人工知能で
   解決できるのか?

  ・そのためには人工知能
   (ディープラーニング)に
   何をさせればいいのか?

  ・そのために必要なデータは
   どうやって集めるか?

  ・データ集めのために
   何をしなければいけないか?

  ・その結果をどうやって
   活用していくか?

いま話題のディープラーニングは、大量のデータを必要とします。

ディープラーニングの活用が進めば、必要となるデータの量も膨大になります。

これだけでもきっとたくさんの人手が必要となるでしょう。データの集め方も様々です。

社会に応用・活用する場面でもやっぱりたくさんの人手が必要になりそうです。

でもいちばんは、「どうして犬と猫を見わけるの?」に匹敵する部分を考える人のところが重要になるでしょう。

いろいろな問題と人工知能による解決を結びつける部分ですね。

  人工知能には本能が組み込めない!(人間ってなんだ!)

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。