人間には本能があります。いや、動物にも本能はあります。
そして、その本能の数は膨大です。(たぶん)
人間の本能のひとつに
「信頼する」
という本能があります。
たとえば病気になってしまい、手術が必要になってしまいました。
今日はとうとうその手術の日です。ベッドに横になって、静かに自分の体が切り裂かれるのを待ちます。
こんな静かな心境には、よっぽど信頼がなかったらなれませんよね。
この「信頼」はどうして生まれたんでしょうか。そしてどういう時に「信頼」を感じることができるんでしょうか。
そんな「信頼」を考えてみました。
(注.ここでの内容は個人的意見です)
信頼の条件は何?
もしあなたが病院でベッドに横になった時、横にあった機械が突然動き出して、自分の体を押さえつけてお腹を切り開こうとしました。
あなたはどうしますか!
って、
絶対に逃げますよね
でも、もしベッドに横になる前に、お医者さんから
「これからこの機械が
あなたの手術をしてくれます
みんなやってる手術ですから
安心して横になっててください」
と言われたら、きっとちょっとは怖いけどあきらめてベッドに横になって、機械にされるままになるんじゃないでしょうか。
「信頼」ができたからですね。
でもどうして信頼できたんでしょうか?
きっと機械の動きの意図が分かったからなんだろうと思います。つまり、機械を信頼したというより、お医者さんを信頼した、ということですね。
そういう意味では「信頼」する相手は「人」に限る、という気もしますが、
でも、犬は人間をとても信頼してくれますね。そうすると、信頼された人間もその犬をとても信頼します。
ということは、相手の心を感じると信頼できるということなんでしょうか?
いや、たとえばお医者さんがある機械を利用して手術をして、何度も成功するのを見たら、そしてそれが人間の手術よりも成功率が高いことを確信したら、
そのお医者さんはその機械を信頼するんでしょうね、相手が機械でも。
どうやら信頼は経験と大きな関係がありそうです。
でもどうして信頼なんてできたの?
でも人間はどうして自分以外の人や動物を信頼できるようになったのでしょうか。
いや、人間以外にも仲間を信頼する動物っていますね。集団で狩りをする動物たちです。
アフリカでリカオンという動物がいて、一匹だとそろほど強くなくても、集団になると大きな相手でも打ち負かしてしまいます。
これ、信頼のなせるワザですね。
自分が大きな相手に挑んだ時、他の仲間も一斉に挑んでくれるという信頼がお互いにあるから挑めるんだと思います。
人間の場合も同じなのでしょう。
仲間を信頼することで、マンモスのような大きな相手に戦いを挑むことができる、そんな「信頼する心」を持った人種が生存競争に打ち勝った、という「進化」の結果なんだと思います。
集団となっての「協力」の力が大きかったんですね。
それが人間同士で、つい
敵と味方を区別する
という副産物の本能にもつながったのでしょう。
そして、「信頼」と大きく関係することが
裏切り:信頼に応えなかった
責任感:信頼に応えなければ
勇気 :信頼に応えなければ
罪悪感:信頼に応えなかった
で、こんな本能群が人類を他の動物たちを大きく超えて頂点に立つ原動力のひとつとしてあったのだと思います。