人間には本能があります。いや、動物にも本能はあります。
そして、その本能の数は膨大です。(たぶん)
人間を人間たらしめる本能のひとつに
「教えたい」
という本能があります。
人間に最も近い動物のチンパンジーにはありません。そして、約5万年前に絶滅したネアンデルタール人にも、この「教えたい」という本能はなかったと思われます。
「知りたい」「考えたい」と「教えたい」といった、これらの本能の組み合わせは、人間に
「言語」
をもたらしたのだろうと思います。
いまから約5万年前あたりに、ホモサピエンスにもたらされたのではないかと思われる、これらの本能の中で
教えたい
という本能のことを考えてみました。
(注.ここでの内容は個人的意見です)
本能と感情の誕生
放送大学の科目で 「発達心理学特論」 で紹介されていたことですが、
チンパンジーの母親は、子供が邪魔をしても怒らないが
そのかわり、特に子供に働きかけることもない
人間の母親は、子供がそばに来て遊んでいると
その子に、いろいろと教えたがる
という話がありました。
この「教えたい」という気持ちは、チンパンジーのころまではなくて、人間になってできた「本能」なんですね。
本能的に子供にいろいろなことを教えようとしたら、
声だったり、
表情だったり、
ジェスチャーだったり、
と、それぞれの人間ごとに、思い思いの方法でいろいろと子供に伝えようとしただろうと思います。
それがいつしかその土地ごとに共通の表現方法ができあがり、人の声帯の存在により、声で内容を伝達することが中心になったのでしょう。
そしていつしか「文法」の概念が形成されたと思われます。
こんな経緯で言語が生まれたならば、文法が出来上がる以前から言葉がたくさんできているので、それらは文法上の例外となってしまうことは、容易に想像できます。
ところで、ネアンデルタール人が言語を話したという形跡はないようです。
でも、真似をしたい(学びたい)という欲求(本能)はあったようです。
そして、ネアンデルタール人はとても頭がよかったようです。
なので、一度作り上げた石器が何十万年にわたって、ほぼ正確に次世代に受け継がれていました。
この、「教えたい」という本能の他にも、「知りたい」「考えたい」といった本能がなかったことが、5万年前の絶滅につながったのではないでしょうか。
ホモサピエンスが「知りたい」という本能(好奇心)で新しい食料を見つけ出し、生き延びることができたのとは対照的です。
でも、人間の
教えたい!
という欲求は本能です。
本能ということは、
満たされないと
欲求不満になる!
わけですね。
小さな子供でさえ、何か面白いものを見つけたりすると、
「アッ、アッ!」
なんて言いながら指差して、一生懸命親に教えようとしたりします。
幼稚園や学校に行くようになっても、
今日学校でね・・・
なんて、一生懸命教えようとします。
でも、聞いてくれる人がいなかったり、話しても怒られたりすることが続くと、だんだん
欲求不満
が溜まってきて、欲求不満解消の方法をいろいろと探してしまうことにもつながります。
だからなんですね、何とか自分のことを話す機会があると、それが健康につながるんですね。
同様に、誰かの話を聞いてあげることができる人は、概して好かれます。
近年、人工知能(AI)がとても発展してきていますが、本能という観点からはずいぶん人間とは違っているようです。
本物の人間になる日は、おそらく来ないと思います。