人間には本能があります。いや、動物にも本能はあります。
そして、その本能の数は膨大です。(たぶん)
人間の本能のひとつに
「不安を感じる」
という本能があります。
恐怖というと、怖い相手がある程度はっきりしていますが、不安というと、何が怖いのかがまだよく分からない状態が多いですね。
「何が怖いのかと聞かれても、
何がどれだけ怖いのか分からない」
という不安は人をいやな思いにさせてくれます。
暗くて何も見えない場所は、とても人を不安にさせてくれますし、何も分からないということも不安にさせてくれます。
でも、人間には誰しも不安の気持ちがあるということは、進化の結果できあがった本能的な感情なので、何らかの必要があったのでしょうね。
どうしてこんな感情が必要だったのでしょうね。
人間の本能の大半は、まだ獲物を求めて狩りをしていたころに獲得されたものです。その時期にどんな必要があったのかということですね。
(注.ここでの内容は個人的意見です)
不安は生存に必要だった
植物のように、一か所に根を下ろしてあとはそこでじっと運を天に任せる、なんていう場合は不安を感じる必要などないのでしょう。
生存に適さない場所だったら、静かに消えて行くというだけの話ですね。
でも、自分で動くことのできる動物は違います。食料を求めてあちこち動き回る必要があります。
ではどこに行けばいいのか?
不安はこの時の指針のひとつになるんですね。
草原の真ん中にオアシスが見えた。
そこに水がある、水が飲みたい
でも、どんな外敵が
潜んでいるのかが分からない
こんな時、何度か行ったことがあって、不安の少ない場所だったらすぐに行動を起こせるでしょうが、初めての場所だったら不安を感じてしまい、ちょっと躊躇してしまいます。
あとは、喉が渇いたという欲求の強さや逃げやすいかなど、状況を総合して考えて(感じて)決断することになるのでしょう。
突然ヒョウが現れて、
こちらに突進して来た!
なんてなったら不安的中で、「恐怖」に変わってしまいます。
幽霊の正体見たり枯れ尾花
昔からのことわざで、
幽霊の正体見たり枯れ尾花
なんてありますが、これはこわいこわいと思っていると、何でもないものまで怖いものに見えてしまう、ということですね。
その昔ほら穴に暮らし、狩りをしていたころに比べたら現代人はとても安全です。
暗くて見えないところだからといって、それがすぐ危険につながるということは少なくなりました。
でも外敵が多かった頃は、人間にとって暗いところはとても危険なところだったのでしょう。
近くに外敵が潜んでいないか、眼を凝らして周りを確認する必要があったのだろうと思います。
そして、潜んでいる外敵の多くは体全体は見えません。木の陰、葉っぱの陰などに隠れ、体の一部分しか見えないことがほとんどでしょう。
それを発見しなければならないので大変です。想像力をフルに働かせて見えているものが何かを考える必要がありますね。
それがちょっと失敗してしまったのが、「幽霊」なんですね。
想像力をフルに働かせた結果間違えてしまうことを、「錯覚」なんて言ったりします。
そう言えば、「隠し絵」とか「だまし絵」なんていうのがあります。
この絵の中に
動物が隠れています
なんていうのがそうですね。
なかなか見つからないのに、一度見えてしまうともう見えなくなったりしません。
狩りをしたいたころに、
外敵があそことあそこにいる
などという大事な情報を、見て分かったそばから忘れてしまっては意味がなくなってしまうからでしょう。
不安と好奇心
でも人間たちがみんな不安だ不安だといって、新しいところ未知のところを避けていたら、これまた生存競争には負けてしまいますね。
そこで不安に対抗する「好奇心」という感情が登場してきて、これが人類の絶滅の危機を救ってくれたことは有名(?)です。
この好奇心が人間に次々と新しい食料を生み出してきたんですね。もちろんその陰で、好奇心が災いして不幸な結果につながった人もたくさんいたでしょうが、人類全体としてはとても重要なことだったと思います。
おまけ
ところで最近取り上げられることの増えた「認知症」ですが、最も多いタイプのアルツハイマー型認知症の場合、
知っている場所なのに
家への帰り方が分からない
やかんのフタを開ける、
ガスコンロのスイッチを入れる
など、ひとつひとつはできるのに
「お湯を沸かす」という
一連の行動ができない
などの、「地誌的障害」や「実行機能障害」などがあります。
たぶん、ひとつの記憶から次の記憶へとつながらなくなってしまうのかと思います。
つまり、
これから自分がどうなるのかが
分からない!
この分からないという「不安」はとても大きなものなんでしょうね。
「プロフェッショナル」という番組で「認知症介護のプロ」として紹介されていた大谷さんという方が、介護している認知症の人によく
「心配いらないよ」
「大丈夫だよ」
と何度も声をかけていました。さすがです。