ストックホルム症候群が人を好きにさせる!まるで恋?

ストックホルム症候群

先日、体操の選手がコーチから暴力行為を受けたという話が大きなニュースになっていましたね。

ところが、暴力を振るったコーチが処分されるのは当然としても、暴力を受けたはずの女子選手が反対に、コーチを処分した体操協会をパワハラで訴えるという、びっくりするようなことが起きました。

一見びっくりするようなこの女子選手のことを 「ストックホルム症候群」 にかかっているんじゃないか? と疑う声が聞こえてきています。

この

  「ストックホルム症候群」

スウェーデンのストックホルムで起きた銀行強盗での事件から名付けられたものですが、どんなものだったのでしょうか。

ここでは、放送大学の授業科目

  「人格心理学’15」

を基に見て行きたいと思います。

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ストックホルムでの銀行強盗

ストックホルム症候群の命名のもとになったのは、

かつてスウェーデンのストックホルムで、銀行強盗に6日間にわたって人質が拘束された時のことでした。

人質をとっての立てこもりの様子を多くの人が固唾をのんで見守る中、とうとう犯人が逮捕され、人質たちが無事救出されました。

死への恐怖から解放され、晴れて自由の身となった人質たちを見て、

誰もが人質たちの喜びの声が聞けるはず、と信じていたその時、

解放された人質たちの口から出てきたのは、自分たちを長い間恐怖に陥れていた犯人たちに同情を示し、

   犯人たちをかばって、
   逮捕した警察を非難する

言葉でした。

中には、その後も裁判で犯人を励まし続け、遂には犯人と結婚してしまった被害者もいました。

この、皆が驚くような行動が基になって、人質たちの心理状態のことを「ストックホルム症候群」 と名付けたんですね。

つまり、ストックホルム症候群とは

   人質が犯人に対して、
   連帯感、親近感、愛情を
   感じるようになること

を指します。

このストックホルム症候群のために、本当は自分が被害者なのに、そのことが認識できなくて、

そのため救出まで遅れてしまうという事態が生じることがあります。

どうしてストックホルム症候群が起きてしまうの?

こんなストックホルム症候群って、どうして起きてしまうんでしょうか?

ここでは、放送大学の授業 「人格心理学’15」 で挙げられていた次のことで考えてみたいと思います。

  ・接触の効果

  ・共同生活の日常化

  ・認知的不協和

まずは、接触の効果から考えていきたいと思います。

  《接触の効果》

この「接触の効果」は、ザイアンスという人が実験で示したことなので、

   ザイアンスの法則

なんて呼ぶ人もいます。

ちょっと難しいかとは思いますが、下の写真を横から1秒に一人ずつ画面に表示されたと思ってみてください。(本当には一度に全部見るのではなくて、一度に一人ずつなんです…)

そして、これらを見た後、次の絵の中でどちらの女の子に好感が持てるでしょうか?

なんとなく右のほうの女の子に好感を持てる可能性が高いんじゃないでしょうか?

というのがザイアンスという人が行った実験で、顔を見る機会が多ければ多いほど、

その人に好意を持ちやすくなる、ということが確かめられていました。

そう言えば、芸能人でも選挙の候補者でも、顔を見られる回数が増えれば増えるほど

みんなに好感が持たれるということなんですね。

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  《共同生活の日常化》

次は共同生活の日常化ということですが、

たとえ人質であったとしても、

最初の、自分の身の安全が脅かされていた恐怖状態が終了して、

犯人との共同生活が日常化してしまうと、

その人たちのことを、ごく普通の人たちであるように感じる、という現象が起きてしまい、

これまた、犯人たちとの連帯感、親近感を持ってしまうことになります。

何とかつじつまを合わせたい・認知的不協和理論

  《認知的不協和》

ここでの「認知的不協和」はかなり大きい理由のように、私は感じるのですが、

その内容は

   人間は、
   自分ではどうしようもない状況に
   置かれた時、

   それを何とか
   意味のあることのように
   解釈したい!

という、人間の考え方の傾向のことです。

フェスティンガーという人の有名な実験では、

   つまらない作業をさせられた人が、

   次に同じことをさせられる予定の人に

   「楽しい作業でしたよ!」

   と言わされる

という実験がありました。

ここで本当の実験というのは、「楽しい作業だった」と言わされた人が、

   この作業をその後どう思ったか?

ということを調べることでした。

ところで、本心じゃないことを言わされた人には、

   Aグループ : 20ドルの報酬

   Bグループ : 1ドルの報酬

   Cグループ : 無報酬

の3グループに分けて調査しました。当時の20ドルはいまでは100ドルぐらいの価値があります。

その結果、あの本当につまらなかった作業のことを、それぞれ次のように言いました。

   Aグループ(20ドル) : つまらなかった

   Bグループ(1ドル)  : 楽しかった

   Cグループ(無報酬)  : つまらなかった

無報酬だとさすがに「つまらなかった」ことには変わりがなくて、また実験に参加したいとも

全く思わなかったようですが、

なんと、1ドルという低報酬のグループの人は

   作業が楽しかった

と感じる人が増えていたとのことでした。

20ドル貰えれば、実験のために嘘をついてもしょうがない、とも思えるんでしょうが、

わずか1ドルでは自分の気持ちが納得しません。

なので仕方がないので嘘はつかず、

   【本当は楽しかったんだ!】

と思うことにしたんですね。

こう考えると、人のこころって結構いい加減なのかな? なんて思ったりもしますが、

そうじゃない、必死で「幸せを求めている」ということなんですね。

社会心理学での

   ポジティブイリュージョン

なんかとも関係しているのかもしれません。

他にも「認知的不協和」の例はたくさんあって、同じラーメン屋さんなのに、

   行列を作って長く待ってから食べる
       ⇒ おいしく感じる

   店に入ってすぐに食べられる
       ⇒ おいしさは少ない

なんかがあり、何らかの集団やグループに入るのに、

   苦労して入る ⇒ 魅力ある集団に感じる

   簡単に入る  ⇒ あまり魅力を感じない

どうやら、簡単に手に入るものより、苦労して手に入れたものの方が価値がある、

と感じるようです。

だから、簡単に入れる学校よりも、入るのが難しい学校の方が「いい学校」と感じるんでしょうね。

ところで、さっきの銀行強盗の人質の人たちにとっても、共同生活が日常化してしまった後は、

   じつはこの人たちは

   いい人たちなんだ!

と思わざるを得なかったんだと思います。

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