共生型介護、クローズアップ現代より

  「小さな子どもの一声で、
   立てなかったはずのお年寄りが
   立ち上がる!」

  「障害者の食事を
    サポートしているのは
   認知症で家事をしなく
    なっていた女性です」

こんなナレーションから始まったテレビ番組「クローズアップ現代」が2009年12月に

  「失われた力を呼び覚ませ
   “共生型介護”」

というテーマで放送されました。

お年寄り、障害者、子ども、それぞれを一緒に介護するという「共生型介護」の紹介の番組でした。

お年寄りが障害者や子どもと一緒にケアを受けながら、互いに助け合うのが特徴ということでしたが、

そこでは、それぞれが

  「誰かに必要とされる」

ということを通じて、生き生きとした生活を送っているようでした。

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共生型介護の現場で

紹介されていたのは、富山県にあるデイケアハウスの「にぎやか」と、札幌にある共同住宅の「タウン白楊(はくよう)」でした。

富山県のデイケアハウス「にぎやか」で…

こちらはお年寄りを預かるデイサービスが中心なのですが、子どもや障害者も受け入れて、15人~16人が共に過ごす場所となっています。

そしてお年寄りの半数以上は認知症でしたが、その他のお年寄りもサポートが必要な人ばかりでした。

ところがひとつ屋根の下で過ごし始めると、思ってもいなかった化学反応が現れ始めたのでした。

認知症が重くなって、こちらにやってきた84歳の男性は、普段は立ち上がることができません。

介護スタッフが解除して立たせようと頑張るのですが、どうしてもダメなようでした。

でも、そこにはお母さんが病気で育児ができなくなったためにやってきた3歳の男の子も一緒に暮らしていました。

そして、この男の子が84歳の男性に

  「こっち、きて」

っと声をかけると、なんと立ち上がれなかったはずの男性が、「はい、はい、はい」とばかり立ち上がります。

そして、男の子の鼻を拭いてあげようと、ティッシュを手にして追いかけます。

ひとりで立ち、歩くばかりではなく、2階まで階段を登ってしまうほどでした。

そこのスタッフの言葉が印象的でした。

 (お年寄りは)
   子どもからエネルギーをもらってるし
 (子どもは)
   子どもはお年寄りから、温かさというか
    思いやりというか、安心をもらってる

こんな生活をすることで、障害のある人がある程度回復することがよくあるということでした。

次は

札幌にある「タウン白楊(はくよう)」という共同住宅での話でした。

ここでは、障害者5人がお年寄りたちと暮らしていました。

食事風景はというと、

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食事の用意や見守りは2人のスタッフが行っているものの、その他はできるだけ入居者同士でということで、みんなで協力して配膳をしていました。

みんな生き生きとした顔でした。

中には洗濯機の操作がわからず、洗濯機を軽く叩きながら怒っていた80代の女性がいたのですが、

そこでこの女性、同じ階に住む、58歳の統合失調症の男性に助けを求めたのでした。

男性に、

  「このままで、もう何もしなくても大丈夫です」

と教えてもらい、安心です。

  「私 この人を頼りにしているの」

どうやらこの男性は、いつも頼りにされているようでした。

あるいは、8年前に倒れて脳に深い傷を受けながら、ここに住むうちに症状が劇的に改善した人もいました。

高次脳機能障害となり、感情のコントロールがうまくいかず、怒りっぽくなってしまった56歳の男性ですが、

この共同住宅に住み、機械の操作などでみんなに頼りにされているうちに、症状が消えてしまっていました。

ゴミ出しや食事の配膳なども率先して引き受けるようになっていたのですが、

  病院でケアを受けるばかりの頃には
   想像もできなかった姿

とのことでした。

ナレーションの

  「互いに掛け合う「ありがとう」が
   失われた力を呼び覚ましている」

という言葉も印象的でした。

医師の話では

  「自分を受け入れてくれて
   自分がやることをみつけられる
  それによって
   悪くなるのを防ぐことができ
   精神的な安定も得られる
  そして
   本来その人ができる能力を
   最大に引き出すことができる」

ということでした。

この番組を観て

この番組を観てもっとも印象に残ったのは、人の

  「誰かの役に立ちたい」

という気持ちの強さでした。

これは特に男性に強いのではないかと感じています。

脳に障害を受けた男性についての、

  病院でケアを受けるばかりの頃には
   想像もできなかった姿

という話の、「病院でケアを受けるばかり」の頃は、

  「自分は誰の役にも立たなくなった」

という絶望感から、何もする意欲がなくなってしまったのだろうと感じます。

ところが共同住宅で周囲の人から頼られるようになり、

  「自分も人の役に立てるんだ!」

という思いから、もっともっとという意欲が湧いてきたのかと思います。

子どもの世話をしていた男性の嬉しそうな笑顔、障害者の方に食事を介助していた女性の嬉しそうな笑顔が印象的でした。

あるいは女性に頼られ、解決してあげた統合失調症の男性の笑顔も同じく印象的でした。

ただ、見方によっては

  認知症の男性の階段の上り下りには
   危険が伴うが…

とも言えます。さらに、

  高齢者は高齢者の施設に
  障害者は障害者の施設に

といった意見もあるでしょうが、あくまでこれは介護する側の立場での都合のように思います。

介護される立場の人の言葉ではないように感じます。

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