放送大学・「認知症と生きる」第9章
認知症の人とのかかわり①
認知症と生きる 認知症の人とのかかわり①[9章C] 認知症ケア福岡宣言
講義内容の整理
以前の認知症ケアは、「ケアなきケア」と言われた時代での、「縛るケア」が中心でした。
紐で縛る以外にも、認知症患者を動けなくする手段がたくさんとられたケアでした。
そのようなケアの在り方に異議を唱え、「縛る認知症ケアからの脱却」を目指したのが
福岡宣言
でした。
1998年に行われた「療養型病床群全国研究会」で、10の病院が
「抑制廃止宣言」
を行いましたが、これが福岡であったので、「福岡宣言」と呼ばれています。
福岡宣言
縛る認知症ケアからの脱却ということで、
1998年に福岡での療養型病床群全国研究会において、10の病院が「抑制廃止宣言」が行われました。これは福岡で行われたので「福岡宣言」言われています。
その翌年の1999年に厚生省は介護保険施設運営基準のなかに「身体的拘束における禁止規定症例」を作りました。
2001年には「身体的拘束ゼロの手引き」が出されることで、各種施設での介護スタッフの意識改革がなされました。
2000年を過ぎてからは、施策が認知症高齢者の支援を中心に考えられるように変わってきました。
福岡宣言を推進した人の話で
福岡宣言の実現における最大の功労者として、「ケアホーム西大井こうほうえん」の施設長の方のお話しです。
20歳の時に精神病院に入職した時の体験から | |
(当時は)おむつは当たり前、拘束は当たり前、 人を人と思わない現場で、「え?」っと思った。 でも、半年すると慣れてしまう。 外との交流のない中で、利用者さんを思う気持ちが薄らいでいった。 実際、拘束もおむつも着けたが、15歳のときの准看護師になろうとした気持ちはなくなってはいなかった。 昔の拘束は24時間点滴だった。つまり1日中寝ていた。 そのため、筋力が落ちる前、歩けなくなる前に、寝ていることの辛さから、起きようとして点滴を抜き、起きてベッドの柵を乗り越えようとする。 そこで、これは点滴が悪いのではないかと考え、2000ccの点滴を1500にした。 それをさらに1000にし、ご飯やおやつ、身体を動かすことなどから、500でいい、ついには点滴は必要なし、ということで、治療の必要がなくなってしまった。 他の施設で怒られ縛られていた人が、この施設では笑顔で歩いた。 あとは事故対応について考えてきた。 |
さらには、精神科ということで、首つりや症状の発見の遅れでの死亡などもたくさん見てきたとのことでした。
拘束しない介護をスタッフの間にしっかり浸透させるには、粘り強い説明・指導が必要ではありましたが、
カンファレンスを開くなどして、スタッフの不安を取り除くという改善により、拘束しなくなりました。
拘束をしなくなると、こんどは誰もしなくなる、拘束の発想が出て来なくなるとのことでした。
逆に、いちど拘束をしてしまうと、「もっとしなければ」、「もっと、こうしなければ」と、患者を死に追いやる方向に動いてしまうのだ、ということでした。
いつかは自分たちの時代には、いい状況がくるのではないかと思っていたとのことでした。
こうした熱い思いを持った人たちのおかげで、
福岡宣言
がなされ、認知症の人に対する身体拘束が少なくなってきたことは事実と言えるでしょう。
参考
(認知症と生きる 認知症の人とのかかわり①[9章A] デイサービスセンターで)
(認知症と生きる 認知症の人とのかかわり①[9章B] 認知症ケアの歴史)
(認知症と生きる 認知症の人とのかかわり①[9章C] 認知症ケア福岡宣言)
(認知症と生きる 認知症の人とのかかわり①[9章D] 認知症の支援施策)
(認知症と生きる 認知症の人とのかかわり①[9章E] 認知症ケアクリニック)