認知症と生きる 当事者から見る認知症・家族編4

放送大学・「認知症と生きる」第14章

  当事者から見る認知症 家族編4
  認知症と生きる 当事者から見る認知症[14章D] 家族編4

講義内容の整理

認知症の家族の介護をする人は、以前は女性が中心でしたが、近年は男性の場合も徐々に増えてきました。

息子が親の介護をする、あるいは夫が妻の介護の役割を担うといったケースが増えてきたのです。

ここでは息子が認知症の母親の介護をするというケースです。

そんな認知症の母親の介護の経験を「詩」という形で本にして出版したり、介護の経験に関していろいろなところで講演をされている、詩人の

  藤川幸之助

さんのお話しが紹介されていました。

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藤川さんの介護の経験より

 ・介護する中で最もつらかった経験は

介護は子育てと違って終わりがないことです。成長してしまえば終わりとはならなくて、

  いつまで続くんだろう?
  お金は大丈夫だろうか?

という心配がありました。

自身の精神的なこともあり、早く介護から逃れたいと思ったのですが、逃れるということは母が死ぬことで、

一方では母に長生きして欲しいとも思っている、いろんな思いが混在している時がいちばんつらかったです。

  「母を殺してしまえば
    認知症という病気もなくなる
   私の苦労もなくなる
    母もつらくないだろう」

といったギリギリのところまで追い込まれた感覚になりました。「いつまで続くんだろう?」という思いでした。

 ・他の家族の中にも
  「なぜ自分の親が、なぜ自分が」
  と思う人もいると思います。
  このこととどう向き合いましたか?

それは今でもあります。

父が亡くなった後に残された手紙を見たら、「自分が死んだ後は、お前がひとりでお母さんの介護をすること」と書いてあったので、仕方なく始めました。

父が亡くなる間際の、命がけの言葉だったから、その言葉に従いました。

なぜとも思いましたが、命がけで言うことなら、特に父の言葉ならしょうがないと思って始めたのです。

  いま、思い出したことですが・・・

母がいつも外をうろうろ歩きました。「ウェーッ」とがに股で声を出して、それを父が手をつないで歩きました。

私はそれがとても恥ずかしくて、友達にでも見られたらどうしようといつも思っていました。

すると父が、

  「俺は
   お母さんのこの姿に関しては
   一度も恥ずかしいと
   思ったことがない」

と言いました。そしてさらに

  「この姿は
   お母さんがこの病気を抱えて
   必死に生きる姿だ」

「人間が何かを抱えて必死に生きる姿を、よく見ておきなさい」と父に言われました。これは

  「父の命の言葉」

でした。

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このことを思い出した時に、「これ(介護)をやっていこう」と思いました。

もうひとつ、思い出したことですが・・・

母が同じ話ばかり何度も何度もするので、私は

  「うるさい、黙れ、
   しゃべるな!」

と言っていました。

同じ話をくり返されて、イライラ、イライラしていたのです。

イライラが続いて、「もうダメだ」と思い、このまま母が死んでくれれば母も楽になるし、自分も楽になる。

こんなギリギリのところまできて、母の目をすっと見た時、母も私の目を見ていました。その時の母のその目が

  じっと私を見る目が

  幼い頃、私を見つめていた
   母の目でした

幼い頃、私はわけの分からない話ばかり繰り返す子でした。1時間も2時間も延々と話していました。

そんな私の話を、母は何も言わずにずっと聞いてくれました。これは覚えています。

私の顔をじっと見て、「そうか、そうか」と最後の最後まで聞いてくれました。

このことを思い出した時、

  「生き直そう」

と思いました。

もっとしっかり母を見つめ、もっとしっかりと母のことを考えて、

父に任されたということももう一度問い直してみようと、このとき思いました。

  「受け入れることが
   できたんだ」

と思いました。

この講義を受講して

私にはまだ介護の経験がありませんが、こういった経験者の話からは、介護の大変さがひしひしと伝わってきました。

それとここでの話で感じたのは、人の話を聞いてあげることの力というものでした。

いまはインターネットが発達して、自分の意見や考えを表現する場は増えていますが、

反面、自分の話を聞いてもらえる場というものが少なくなっているようにも感じます。

そんな自分の話を聞いてくれる人が身近にいるとしたら、とても心強いものがあると思います。

ここでの藤川さんの場合は、あることを思い出した瞬間に、お母さんの言葉を聞こうという気になったのだと思います。

ちなみに、私の場合は人の話を聞くのはどちらかと言えば得意な方だと思っています。

この人の話をしっかり聞いてみようと思った時に、相手の人が夢中で話し始めて、徐々に落ち着いてきて、そのうちに穏やかな話し方に変わって・・・

こんな様子を見ているのは結構楽しいものがあります。(話の内容以上に)

もっとも、しっかり聞いてみようと思えない場合もありますが。

参考

  (認知症と生きる 当事者から見る認知症[14章A] 家族編1)
  (認知症と生きる 当事者から見る認知症[14章B] 家族編2)
  (認知症と生きる 当事者から見る認知症[14章C] 家族編3)
  (認知症と生きる 当事者から見る認知症[14章D] 家族編4)
  (認知症と生きる 当事者から見る認知症[14章E] 家族編5)

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