認知症と生きる 当事者から見る認知症・家族編5

放送大学・「認知症と生きる」第14章

当事者から見る認知症 家族編5
認知症と生きる 当事者から見る認知症[14章E] 家族編5

講義内容の整理

認知症の人を抱えた家族の目で認知症を見るとどう見えるのかという中で、

介護をしていた認知症の母親を施設に預けるという経験のお話しです。

認知症の母親の介護の経験を「詩」という形で本にして出版したり、介護の経験に関していろいろなところで講演をされている、詩人の

  藤川幸之助

さんが、そのお母さんを施設に預けた際のお話しが紹介されていました。

藤川さんは

  ★当事者から見る認知症 家族編4

でも、介護のご苦労などをお話ししてくれています。

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施設に母親を預けるという経験

藤川さんのお話しから

 ・施設にお母さんを預けるという選択は
  どんな経験だったでしょうか

つらい経験でした。

亡くなった父から「お母さんの世話をしなさい」と言われていましたが、

熊本の施設に入れようとした時、父親は喜ばないかもしれないと思いました。

それと、世間の人たちは私のことを、「母親を施設に捨てるなんて、なんて冷たい息子だ」と思っているだろうなとも感じました。

実際は施設ではよくしてもらったので、決して捨てたわけではありませんが、感覚としてはそうでした。

初めてお母さんを施設に入れたとき、帰ろうとしたらお母さんも一緒に立って、私について一緒に歩きました。

玄関まで行ってから、

  「お母さん、
   今日からここにいるんだよ」

  「じゃあ さようなら」

と言ったら、お母さんが私の服の裾をぐっと握りました。

私はお母さんを「捨てた」という気持ちがあったので、つらくて、手を放しながら、

  「ここにしっかりといて
   頑張るんだよ」

と言うのですが、そうするとまた裾をしっかりと握って離しません。

このことを10回以上繰り返しました。何回やっても私の服をぐっと握ったのです。

最後にとうとう、

  「今日からここが
   お母さんの家なんだ

   しっかり頑張らなきゃ
   ダメだ」

と怒ってしまいました。

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そしたらお母さんがびっくりして手を放して、私はそのすきに車まで走って行って帰りました。

振り返った時、施設の人がお母さんをしっかりと抱きしめてくれていました。

ありがたい思いと、情けない思いと、「自分は母を捨てた」という思いで、ずっと自分を責めていました。

小学校の授業で

小学校の教員をしていたのですが、授業をしながらも涙が流れたことがありました。

その時、何も知らない子どもたちが私の周りにやってきて、もものあたりをさすってくれたのです。

  「先生 頑張れ、先生 頑張れ」

と言ってくれたのです。なお泣きたくなって、背中を丸めたら、今度は背中をさすってくれたのです。

  「先生 頑張れ、頑張れ」

何も知らずに励ましてくれる子どもたちを見て、

  自分が教えている

というつもりだったけど、今は

  この子たちに救われている

という気がしてきました。

あんな思いはもうしたくはありません。

以下は講師の先生の解説です。

家族という立場で介護をするとき、他の人には分からない、そしてやり場のない思いや葛藤の中にいるということが、この話からもよく分かります。

認知症の本人も苦しんでいますが、支える家族も苦しみや不安の中にいるということを理解しておく必要があります。

この講義を受講して

男性の立場で認知症の人を介護する大変さをつくづく感じてしまいます。

私もいま突然介護する必要に迫られたら、どうしたらいいのか見当がつきません。

施設に預けるということを「捨てる」と感じるのか、あるいは周囲から「捨てたやつ」と思われてしまいそうになるのか、あるいは自分で見れるのか…

徐々に猶予が無くなりそうな気もして、ちょっと焦ってしまいます。

参考

  (認知症と生きる 当事者から見る認知症[14章A] 家族編1)
  (認知症と生きる 当事者から見る認知症[14章B] 家族編2)
  (認知症と生きる 当事者から見る認知症[14章C] 家族編3)
  (認知症と生きる 当事者から見る認知症[14章D] 家族編4)
  (認知症と生きる 当事者から見る認知症[14章E] 家族編5)

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