放送大学・「認知症と生きる」第9章
認知症の人とのかかわり①
認知症と生きる 認知症の人とのかかわり①[9章D] 認知症の支援施策
講義内容の整理
認知症のケアは、以前のケアなきケアの時代の、介護する側の都合優先のケアとして、拘束が当たり前の時代から、
1998年の福岡宣言による、認知症高齢者自身の支援策としてのケアの在り方に向かいました。
1999年には「ゴールドプラン21」として、高齢者保健福祉施策が体系的に提示されました。
そして翌年2000年には「公的介護保険制度」が開始されました。その基本は
利用者の自立支援
ということでしたが、いろいろな問題もありました。
ゴールドプラン21
1999年に制定された「ゴールドプラン21」では、今後取り組むべき重要な柱として、
「痴呆性高齢者支援対策の推進」
が挙げられました。
5点の重要な内容は、「認知症に対する医学的研究の推進」、「グループホームの整備等介護サービスの充実」、「認知症介護の質的向上」、「早期相談・診断体制の充実」、「認知症高齢者の権利擁護体制の充実」となっていて、
その翌年の2000年には、「公的介護保険制度」が開始されました。
この公的介護保険制度の特徴に「利用者の自立支援」があるのですが、認知症高齢者の場合、認定審査で要介護度が正確に審査されないことが、結局適切な介護サービスにつながらず、
それで結局、家族の介護負担は変わらないなどの不満の声も大きく、2003年、2008年と介護保険制度の改正が行われました。
●ところでこの話、個人的な事情から言えば、よく分かるところがあります。
例えば知的障害のある人の場合で言えば、審査で
自分で立てますか?
歩けますか?
と聞かれてしまうと、
はい、立てます
はい、歩けます
と答えざるを得ないところがあるのですが、問題はそこではないんですね。
立つとはいっても、立つまでに体制を整えたり、捕まるところを探したり、時には失敗して転んで頭を打ったりと、その結果ようやく立つことができるという時に、
あっさり、
「立てます」
とされるのは納得しにくいのですが、かと言って、「立てない」と言ってしまうとウソということになります。
あるいは「歩ける」といっても、常に転倒の危険を伴いながら歩くので、ちょっとした障害物があっても通れなくなったりもします。
さらには、
どこに歩いていくの?
の問題がある場合は、より厄介です。
頭がしっかりしていて、コミュニケーションがしっかりとれている人ならば問題はありませんが、知的障害がある人の場合、
行って欲しくない所に
勝手に歩いて行ってしまう
ことも多々あるので、「歩けるから困るんです!」ということにもなってしまいます。
これは、
初期のアルツハイマー型認知症の人の場合も、身体の機能には問題がない場合が多いので、
要介護度を判定する人のこのあたりの理解不足もあって、正しい判定ができなかったのではないかと思います。
認知症ケアの教育の変遷
ここでは、看護教育と介護教育とに分けての説明です。
看護教育の現場では、昔は「老人看護学」という独立した科目はなく、「成人看護学」の中に「痴呆」という言葉がちょっと入っていただけ、という程度でした。
「老人看護学」ができたのは、カリキュラムが改正された1990年のことでした。高齢者の数が増え、「高齢社会」となってからのことでした。
それ以降は認知症ケアが基礎教育として行われるようになりました。
さらには、
老人専門看護師CNS
認知症看護認定看護師
という認知症ケアに特化した看護師の育成も始まっています。
介護教育の現場では、1988年に
介護福祉士
ができています。
ちなみに平成20年9月の段階では、介護福祉士登録者の数は約11万人となっています。
《愛を持ちながら、認知症を病気として受け止め
「自立支援」、「暮らしを支える」の考え方を
根底に、多職種との協働が実際のものになる
のが楽しみである》
とありました。
参考
(認知症と生きる 認知症の人とのかかわり①[9章A] デイサービスセンターで)
(認知症と生きる 認知症の人とのかかわり①[9章B] 認知症ケアの歴史)
(認知症と生きる 認知症の人とのかかわり①[9章C] 認知症ケア福岡宣言)
(認知症と生きる 認知症の人とのかかわり①[9章D] 認知症の支援施策)
(認知症と生きる 認知症の人とのかかわり①[9章E] 認知症ケアクリニック)