認知症と生きる、人とのかかわり③ 生認知症の人と権利・認知症と人権

放送大学・「認知症と生きる」第11章

  認知症の人とのかかわり③ 認知症の人と権利
  認知症と生きる 認知症の人とのかかわり③[11章B] 認知症と人権

講義内容の整理

認知症の人の人権を考える時、一般の人が高齢者のことをどう捉えているのか、ということは大きな問題となります。

認知症の人の虐待につながる偏見がどうか、どのような眼差しで認知症の人を見る必要があるのか、などと共に、

そしてさらに、認知症の人の人権について考察していきます。

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厚生白書・神話

一般の人が高齢者をどのように捉えているのかに関して、厚生白書では、1997年度に

  1997年度
  「厚生白書」神話

の記述があります。

これは、厚生白書で取り上げられた、「高齢者をめぐる6つの神話」です。

「事実」ではなく、あえて「神話」と表現されています。

そして最後に、「皆さんはこれを真実だと思いますか?」と問いかけています。

これは日本の現代の若者に対して行った調査結果で、若者が高齢者に対してどんなイメージを持っているのかを示しています。

そして、「神話」と表現することで、これらの6つの事実は、実は誤っているということを言っています。

これは、マスコミをはじめとして、高齢者、認知症の人に対して、暗い、マイナスのイメージが強調され、宣伝された結果出来上がったイメージといっていいでしょう。

認知症の人を見る原則的まなざし

介護する側の人が、認知症の人を見るとき、

  認知症の人は悲しい人

と捉えてケアを行うってしまうと、ケアの在り方が

  「施すケア」

となってしまい、また「自分の世界を生きる認知症の人」を

  頭がおかしい人

と決めつけてケアをすると、よくない結果(拘束、虐待等)が予期されます。

では、介護する側が認知症の人をどう捉えるべきなのか、ということを示したのが、次の表です。

変化することで、自身にしわができてしまったり、時代の変化や暮らしの環境の変化だったりなどは、高齢者であってもそのことを自覚していて、

また意欲的に自立しようとしてリハビリに励む、これは人に迷惑をかけたくないという思いで頑張っているということです。

そしてまた、もしかしたら障害のため車椅子に乗る必要が生じた場合にも、看護や介護を受け入れて、生活を変えていくこともあるでしょう。

そして、いつまでも自分自身であり続けたい、つまり「自分が自分らしく」ありたいという思いは、高齢になっても変わることはありません。

高齢者はそうした自分に誇りを持っている人物です。

この視点は、私たちが自分自身を見つめる時の視点と、実は同じです。

認知症の人の人権

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認知症の人の人権を、4点を中心に考えます。

前の方で、認知症の人を見る原則的まなざしの4で、

  「自分自身であり続けたいと願い」

としました。

人は誰でも「自分自身でありたい」という気持ちは同じです。そのために、常に毎日向上心を持って生きています。

いつでも、少しでも豊かになろうとして過ごしています。

この「成長したい」、「吸収したい」という気持ちはいくつになっても同じはずで、生涯にわたって成長し続けることができるのです。

この

  「自分らしくある」

ためには、人は

「自分で、ある程度の
行動を決定する権利」

を持っています。

そして、この権利が「自己決定権」というものになります。

そして、人にはそれ以前のものとして、

  「人権」

があります。

この人権は、人が

  「生まれながらにして
    持っている権利」

のことです。

当然、認知症の人でもこの「人権」を持っています。

そして、その人の尊厳(人権)を維持するために、「自己決定権」があります。

この自己決定権を私たちの生活の中で考えるとき、次のようなことがあります。

  ・今日は何を着ていこうか
  ・もうちょっとゆっくり寝てようか
  ・昼ご飯は何を食べようか
  ・夜は何を食べようか
  ・どんな買い物をしようか
  ・ ・ ・

というように、私たちは毎日、数え切れないほどの自己決定をしています。

こうした無数の自己決定が「自分らしさ」を支えていると言えます。

ところが認知症の人の場合は、自分で自分のことを決められない、判断ができない状態にあります。

自分らしさのための自己決定を、ケア提供者に委ねてしまうことになります。

そのことが、自分の望まない服を着ることになったり、メニューも分からないまま食事をしたりということがケアの現場で起きています。

そして、「男と女」も、生物学的にも違っていますし、育てられ方も違っているということです。

なので、ケアの在り方も違って当然ということになります。

・・・・・・・次回は
   認知症の人への偏見を作り上げた理由、
    虐待と対応策
です。

ここの受講から

認知症介護の先進国、大谷るみ子さんという方が、北欧デンマークに視察に行った時の話として、

  認知症だからといって、
   拘束されている人など一人もいない
  皆、穏やかに過ごしている
  (介護はファンタジーより)

とありました。

これは、ケア提供者のやり方によって、認知症の人が天国にも地獄にも行くことになる、みたいな話になるのでしょうか。

でも、これはまさに、

   認知症の人のありようは
        ケアの鏡

ということかと思います。

参考

  (認知症と生きる 認知症の人とのかかわり③[11章A] 認知症の人と人権・虐待の現場で)
(認知症と生きる 認知症の人とのかかわり③[11章B] 認知症の人と人権・認知症と人権)
(認知症と生きる 認知症の人とのかかわり③[11章C] 認知症の人と人権・偏見とイメージ)
(認知症と生きる 認知症の人とのかかわり③[11章D] 認知症の人と人権・虐待と対応策)
(認知症と生きる 認知症の人とのかかわり③[11章E] 認知症の人と人権・福岡宣言の後)

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