認知症と生きる 当事者から見る認知症・歴史編

放送大学・「認知症と生きる」第13章

  当事者から見る認知症 歴史編
  認知症と生きる 当事者から見る認知症[13章A] 歴史編

講義内容の整理

認知症の当事者というとき、認知症のその本人の場合もありますし、認知症の人を抱える家族の場合もありますが、この章では認知症の本人からの目線で、認知症がどう見えるのかがテーマです。

家族からの目線で見えるもの、地域社会との関わりで見えるものは、次の章とその次の章になります。

最初はこの日本に生きた認知症当事者の人々が、過去にどのような社会と環境の中で生きてきたのか、という話から始まります。

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かつての認知症の人たちの扱い

日本では、「臭いものにはふたをしろ」という考えがあるように、社会の中にありながら無視されて扱われてきた人々がいました。
障害者だったり特別な病気を持った人だったりです。

障害者の歴史でも、人の目から隠され虐げられて、その存在を認められないまま生きざるを得なかった事実もありました。

たとえば

  「座敷牢」

と呼ばれる私宅監置のための部屋もありました。

こうした座敷牢のような、社会と断絶した中でしか生きることを許されなかった人たちがいたということですね。

そして認知症の人たちもまた、家庭や地域内にいることが恥ずかしい、あるいはやっかいな人たちと考えられ、家庭内や施設内で、閉じ込められ、縛り付けられているのが当然とされていたころがあったのです。

また、認知症の人の言葉に誰かが耳を傾けることも、ほとんどありませんでした。

主任の講師の先生の経験より

先生が老人病院と呼ばれる施設で看護師をしていたころの話です。

認知症の人や寝たきりの人など、多くの高齢者の方が入院していたのですが、

そこでは当たり前のように

  立ち上がると危険だからと
   車いすに胴体を
   縛り付けられている人

  オムツを外してしまうからと
   つなぎ服を着せられている人

  つなぎ服を破ってしまうからと
   両手をベッドに
   縛り付けられている人

などがいたそうです。

つなぎ服は自分では外すことができないよう、背中にジッパーがついているものでした。

先生も当時は当然のように、ベッドに高齢者の手を縛りつけ、つなぎ服を着せていました。「抑制」と呼んでいました。

ところがある日、高齢者の人の手を抑制していた時の、その人の目が忘れることができなくなったとのことでした。

そして、その目線の奥にある言葉にならない訴えに触れた気がして、目をそらしてしまったのでした。

先生はいたたまれなくなって、その場から逃げ出したのでした。

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認知症の人のその目は、伝えたい思いを伝えられずにはいても、そこにその人がいるということを訴えた「心の訴え」のように感じたのでした。

多くの認知症の人々は施設や地域の中で、なされるがまま受け入れざるを得ず、いろいろと感じるところがあっても、その思いもうまく伝えられずにじっと耐えていたはずです。

そしてそんな時代はつい最近まで続いていたのでした。

語り始めた当事者たち

認知症の人たちの扱い方は時代と共に少しずつ変化してきましたが、その背景には有吉佐和子さんの小説「恍惚の人」や、ケアをする立場の人々の意識改革などがありました。

また、認知症の当事者という意味では、諸外国での本人の体験記だったり本人の言葉だったりと、いままでは社会の表に出なかった人々が、表舞台に出て発言するという活動なども活発になってきました。

日本で認知症の人が公の場でその人自身の思いを語ったのは、2003年と2004年の京都での国際アルツハイマー病協会による「国際会議」での、クリスティーン・ブライデンさんというオーストラリアの方の話が最初でした。

ブライデンさんは1995年に46歳でアルツハイマー病と診断され、翌年政府の仕事を退職し、その体験を

  「私は誰になっていくの?」

という本にして出版しました。

この本は日本でも多くの人に読まれています。

自分が何になっていくのか、何に怯えているのなど、本人にしか分からない言葉が綴られています。

認知症の当事者が、多くの人々に自身の思いを語るというのは日本では初めてのことで、
これをきっかけに、日本での認知症の当事者活動が大きく飛躍することになったと言えましょう。

認知症の本人たちがあげた声は、認知症の人たちが

  社会の中で孤立することなく
  自分たちの身近な地域で
  自分たちらしく
  同じ体験をしている仲間と
   つながりながら
  安心して生きていける

といった状況の必要性でした。

そして、この声に呼応するように、認知症の人々をサポートするような活動やネットワークができてくるのでした。

この講義を受講して

人の平均寿命から言って、昔は認知症になる以前に寿命が終わっていて、認知症という病気は極めて特殊で、「他人事」的な状況だったのだろうと思います。

ところがいまは平均寿命が非常に伸びて、多くの人にとって認知症が「自分事」になりました。

だからこそ認知症になっても安心して生きていける、そんな社会が切に望まれるようになってきたと言えるのでしょう。

参考

  (認知症と生きる 当事者から見る認知症[13章A] 歴史編)
  (認知症と生きる 当事者から見る認知症[13章B] 本人編1)
  (認知症と生きる 当事者から見る認知症[13章C] 本人編2)
  (認知症と生きる 当事者から見る認知症[13章D] 本人編3)
  (認知症と生きる 当事者から見る認知症[13章E] 本人編4)

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